第2回 エンゲージメント信仰が見逃していること 島貫智行氏 中央大学大学院 戦略経営研究科 教授
島貫智行氏
「人事戦略や人事施策の構想のためには、それらのベースにあるコンセプトの理解が欠かせません」――。中央大学大学院の島貫智行教授は、そう語る。組織と人材のマネジメントにおける基本的な考え方を理解していれば、自社の人事施策を再点検する際も、先進企業の人事戦略を読み解く際も有益になる。そこで本連載では、今日の人事戦略において重要なコンセプトについて、全4回にわたり島貫教授に寄稿いただく。
第2回は、人的資本経営の文脈におけるエンゲージメントの本質と、その再定義について解説する。
近年、多くの企業が従業員のエンゲージメントサーベイを実施している。人的資本経営や人的資本開示をめぐる動向が一段と強まるなか、人事・組織領域のKPIとしてエンゲージメント指標を設定する企業も珍しくなくなった。有価証券報告書や統合報告書に、エンゲージメントの取り組みやスコアを掲載するケースも増えている。
サーベイ結果をもとに課題を整理し、改善施策を検討すること自体は、もちろん重要である。しかし一方で、スコアの前年比や他社平均との差に一喜一憂したり、全社平均が高いことに安心してしまったりと、数値そのものが目的化している場面も少なくない。こうした状態は、「なぜエンゲージメントに注目するのか」という本来の問いが、置き去りにされていることを意味している。
そもそも企業は、なぜ従業員のエンゲージメントに関心を寄せるのだろうか。背景にあるのは、従業員の意欲や主体性が、組織の成果や持続的な成長に影響を与えるという期待である。本稿では、エンゲージメントを単なる状態を示す指標としてではなく、個人の成長と組織の成長を結びつける動的なプロセスとして捉え直し、その本質を再構築していく。
なぜエンゲージメントが問われているのか
従業員のエンゲージメントとは何か。厚生労働省の整理によれば、エンゲージメントは働きがいに関わる概念であり、代表的なものとして「従業員エンゲージメント」と「ワークエンゲージメント」の2つが挙げられる。
従業員エンゲージメントは、個人と組織との関係に着目した概念である。組織が目指す方向性への理解、個人と組織の方向性の重なり、組織への貢献意欲を含む。一方、ワークエンゲージメントは、個人と仕事との関係に焦点を当て、仕事にやりがいや誇りを感じ、熱心に取り組み、仕事から活力を得ている状態を指す。これらが従業員の態度や行動、さらには成果に影響を与えることは、多くの研究によって示されてきた。
ただし、人事実務の現場では、エンゲージメントの定義が必ずしも統一されているわけではない。エンゲージメントサーベイの設計思想や目的は、企業や調査機関ごとに異なる。実際には、職務満足、組織コミットメント、組織的同一化、モチベーションといった関連する概念が、併せて測定されていることも多い。
こうした実態を踏まえると、エンゲージメントは単一で独立した心理概念というよりも、複数の概念と重なり合いながら発展してきた包括的な概念と捉える方が実態に近いだろう。であるならば、「エンゲージメント向上」という言葉をいったん脇に置き、組織としてどのような従業員の心理状態や行動を重視したいのか、従業員と組織・仕事との望ましい関係性とは何かを問い直す必要がある。
経営にとって本当に重要なのは、エンゲージメントスコアの高低そのものではない。エンゲージメントが、個人の成長と組織の成長を同期させる仕組みとして機能しているかどうかである。
エンゲージメントには「約束」や「関与」といった意味が含まれる。個人と組織が対等に尊重される関係のもとで、個人の成長が組織の価値創出につながり、その成果が再び個人の成長機会として還流する。この動的な相互発展プロセスこそが、エンゲージメントの核心である。この好循環を成立させるために、本稿では6つの中核コンセプトを位置づける。
個人の成長をドライブする
個人と組織の相互発展プロセスの起点は、従業員一人ひとりの成長にある。その成長を持続的にドライブするためには、能力開発施策や関連する制度設計だけでは不十分である。個人の内側に形成される心理的な基礎に目を向ける必要がある。
その鍵となるのが、スライビング、心理的資本、インクルージョンの3つのコンセプトである。これらはいずれも、個人が前に進み続けるための条件であり、相互に関連しながら成長の基盤を形づくっている。
❶ 成長している実感 スライビング
個人の成長を駆動するためには、まず成長が消耗や我慢としてではなく、前に進んでいるという実感を伴って経験される必要がある。努力を続けていても、何も積み上がっている感覚が得られなければ、成長は長続きしない。この成長実感を捉える概念が、ミシガン大学のスプライツァー教授が提唱する、仕事におけるスライビング(thriving at work)である。
スライビングとは、仕事を通じて活力(vitality)と学習(learning)を同時に感じている状態を指す。スライビングしている個人は、疲弊することなく、熱意や気力をもって仕事に取り組めている感覚と、新しい知識やスキルを獲得し、それを実践で活用できている感覚を併せ持っている。

