第12回 あなたの居場所は絶対にある 互いに自分らしくいるために目の前の相手に気持ちを向ける はるな 愛氏 タレント
タレントだけでなく歌手や映画監督、実業家としても活躍するはるな愛さん。
番組では明るく楽しく、視聴者に笑顔を届けてくれるが、学生時代や20代のころは自身の在り方について苦しみ、追い詰められていたという。
なぜ、ありのままの自分を受け入れ、生きられるようになったのか。はるなさんのベースはどこにあるのか、話を聞いた。
自分のために女性として生きる
――性別の壁を越えて、自分らしく輝いているはるな愛さん。女性アイドルのモノマネで一躍人気者になり、近年は演歌歌手としても活躍されています。
はるな愛氏(以下、敬称略)
もともとは歌手になりたかったんです。物心つく前から歌うことが大好きで、アイドルも演歌も大好き。一方で、女性として生きたい夢というか、切実な思いも自分のベースにあったので、女性のアイドル歌手にずっと憧れていました。小学5年生ぐらいから、素人の歌番組に自分で応募して出場していたんですよ。憧れの松田聖子さんのモノマネをしながら聖子さん風のメークに、フリフリの衣装を着けてね。でも、5年生ぐらいになると、いろいろわかってくるじゃないですか。自分では女の子だと思っていても、実際は女子と区別される場面が増えるし、自分の容姿も変わっていく。現実を見たくなかったですね。
私の人生はどうなるんだろうと、不安でしかたなくて。授業中も、紫式部や与謝野晶子といった女性の名前が出てくるだけで意識してしまって、先生の話が頭に入らなくなるほどでした。
――当時はトランスジェンダーへの社会の偏見や無理解が、いまよりももっと強い時代でした。
はるな
うちの親も「病気」という認識でした。病気だから治療すれば「治る」とか、男らしくしていれば「元に戻る」とか、そんなふうにしか見てもらえなかったのは、悲しかったですね。中学では、いじめを心配した親の言うとおり、男らしく振る舞ってみましたが、逆にいじめのターゲットになってしまいました。自分を偽ってびくびくしていたのが目についたんでしょうね。いじめる方も弱い子たちだから、自分たちより弱くていじめやすそうな相手を狙うんですよ。でも、親には心配をかけられないから相談できなくて……。正直、自殺も考えました。
――そこまで追い詰められていたのですか。
はるな
女として生きるのか、男として生きるしかないのか。二択が絶えず頭の中をぐるぐる回っていました。それは自分のために生きるか、親のために生きるかの二択でもあったんです。たとえば、想像したくもないけれど、親のために自分を偽って、女の人と愛し合って子どもを一人でももったら、親は喜んでくれるのかなとか。でも、後悔するのは目に見えていました。生きるか死ぬかまで追い詰められたけれど、死なずに生きるなら、自分のために生きてみようと。高校を中退して、地元・大阪のショーパブでニューハーフとして働き始めました。