第9回 離れてわかった仕事への愛 目の前のことを一つずつ 心を込めてやり遂げる 竹内香苗氏
TBS アナウンサーとして数々の番組に出演していた入社12年目、フリーアナウンサーに転身して夫とともに南米に渡った竹内香苗さん。
現在は帰国し、3人の子どもを育てながら、仕事に育児にと忙しい毎日を過ごしている。
仕事を離れたことであらためて気づいた仕事への思いとは。
また、アナウンサーへのこだわりについて話を聞いた。
仕事への“愛”を再確認
――竹内さんは2012年のご結婚を機に、ご主人の南米赴任に同行するためTBS を退社され、フリーアナウンサーに転身されました。当時は、局アナとして報道からバラエティーまで、多くの番組を担当されていたキャリアの充実期。思い切った決断をされましたね。
竹内香苗氏(以下、敬称略)
それまで12年間自分なりに突っ走ってきたので、環境を変えるのもありかな、と。でも、それ以上に、結婚してすぐに離れ離れになるのが嫌でしたし、また赴任先でも、フリーとして別の形で現地の情報をお伝えできる機会もあるかなと、むしろ新しい展開が楽しみでしたね。ただ、現実は結構厳しくて……。よく1人でしくしく泣いていました。
――初めての出産、子育てを海外で経験され(※長男をブラジル、次男をアルゼンチンで出産)、ご苦労は想像以上だったそうですね。
竹内
育児から何からすべて、日本のようにスムーズにはいきません。頼る人もいないし、治安が良くないので、どうしても気持ちがめいってしまうことがありました。それでもせっかく来たのだからと、リオのカーニバルやアルゼンチンのタンゴなど、現地でしか味わえないものに意識的に触れて、無理やりにでも楽しく過ごすようにしていました。当時、アルゼンチンには日本の食べ物があまりなかったので、食べたいものを“自作”することにもハマりましたね。製麺機で粉から作った自家製ラーメンとか、ネットでレシピを調べたオリジナル銘菓「萩の月」とか。それがある意味、精神安定剤になっていたのかもしれません。食べることは私の生きがいですから(笑)。
――厳しい環境で過ごしたからこそ、得られたこともあるのではないでしょうか。
竹内
それはもう、アナウンサーという仕事への“愛”を再確認できたことにつきます。TBS 時代は忙しすぎてつらい時期もありましたが、いざ離れてみると、仕事をしていたとき以上に愛が溢れて、「原稿が読みたい!」「レポートがしたい!」「司会がしたい!」と、あらためてモチベーションに火がついたんです。
仕事や職場でしか会えない仲間と疎遠になってしまったこともこたえました。以前は会えるのが当たり前でしたから。「帰国したら、あの人たちとまた仕事ができる」。そんな思いを支えに、駐在期間の5年間をあと何年、あと何日と指折り数えて踏ん張った感じです。いま、仕事を続けていられるのも、あの5年間があったからかもしれません。