第4回 つらいのはゴールが間近の証し 自分の居場所は自分でつくる 新妻聖子氏
圧倒的な歌唱力をもち、ミュージカル界のみならず、テレビなど活躍の場を広げる新妻聖子さん。10代を過ごしたタイで学んだことや夢との向き合い方、母になって感じたことなどについて聞いた。
つらいのは、ゴールが間近の証し
─ 22歳のとき、ミュージカル未経験ながら、オーディションで「レ・ミゼラブル」の主要な役どころに大抜擢され、以来ずっと、歌とともに歩んでいらっしゃいます。いつから、歌が好きだと意識し始めたのですか。
新妻聖子氏(以下、敬称略)
愛知県祖父江町(現稲沢市)の大自然のなかで生まれ育ちました。幼いころから歌が大好きで、移動中の車の中ではいつも母や姉とハモっていましたね。そのころから、歌うことでスターになると豪語していたみたいです。姉に聞いたところによると、私は5歳から、サインを書く練習をしていたとか(笑)。
─ 幼いころは、どのような子どもだったのでしょう。
新妻
母が担任の先生から「どうすれば聖子ちゃんみたいな子が育つの?」と聞かれるくらいの優等生だったようです。小5で生徒会副会長になり、「6年生になったら生徒会長だ!」と意気込んでいたところ、小5の終わりに父の仕事の都合でタイのバンコクに引っ越すことになりました。そのときは、泣いて抵抗しましたね。
でも、バンコクは都会で刺激に溢れていて、すぐに来てよかったと思いました。世界の広さや多様な価値観に触れたことで、初めて自分が井の中の蛙だったことに気づいたんです。
─ タイではインターナショナルスクールに通われたそうですが、どんな学生生活だったのですか。
新妻
ABC しか知らない子どもがいきなりインターナショナルスクールに放り込まれるわけですから、最初は本当に大変でした。まず言語の壁。問題を解こうにも、そもそも問題文を理解できないんです。辞書を引いて問題文を訳して、解いたらそれを英語に訳すことの繰り返しで、毎日辞書とにらめっこしていましたね。そんな日々が2年半続き、もう一生英語が話せないかもしれないと、くじけそうになっていました。
そんなある日の授業中、「あれ、私今、先生の英語が全部聞き取れた。言いたいことも全部英語で言える!」と思えた瞬間が訪れたのです。
私の場合は学生だったので、勉強をやめるという選択肢はありませんでしたが、もし自分で自由に選択できたとしたら途中でやめていたかもしれません。それくらいつらかったけれど、やめなかったから、2年半でできるようになったんです。
そのときの経験から、「一番つらいときは、一番ゴールに近いときだ」ということを学びました。10年くらい前にもなかなか仕事で結果が出せず自己嫌悪に陥った時期があったのですが、「つらいのはゴールが間近の証し」と踏ん張ることができました。