第3回 根底にあるのは師匠と両親への感謝 生きざまや情熱を未来の歌舞伎に伝えていく 市川 右團次氏 歌舞伎役者
小学校在学中、先代・市川猿之助に弟子入りし、歌舞伎の世界に足を踏み入れた三代目市川右團次。息子・二代目市川右近の師匠としても忙しい日々を送る。歌舞伎への思いと自身の在り方について語った。
役者として生きていく
─ 2017年1月に三代目市川右團次を襲名されました。今年も襲名披露公演をはじめ、多くの公演で活躍されています。
市川 右團次氏(以下、敬称略)
42年間市川右近を名乗ってやってきましたが、右團次という市川家の大きなお名前を襲名しました。81年間途絶えていた名前なので、まずは市川家に右團次という名前があると知ってもらうことが大切だと思っています。右團次というのは、私の生まれ故郷の大阪の名前ですから、その名を辱めないように舞台を務めるということが大阪に対する恩返しにもなると思っています。
─ 世襲が多い歌舞伎界ですが、ご自身は大阪の日本舞踊の家に生まれ、小学校卒業と同時にひとり上京し、二代目市川猿翁(三代目市川猿之助)師匠の元へ行かれました。
市川
憧れていた師匠に入門しないかと誘っていただき、小学校卒業と同時に上京して、師匠の書斎に泊まらせていただいていました。昼間は中学校に通い、夜はお芝居のお稽古ごとをしたり、劇場に詰めて師匠のお手伝いをしたりしながら、ちょっとした役で舞台に出させていただいていましたね。
でも、自分で東京に行くと決めたはずなのに、やっぱり寂しくてね。大阪に帰りたいと思ったことも何度もありました。
─ 歌舞伎の世界で生きていく覚悟のようなものは、いつ生まれたのでしょうか。
市川
中学3年生になり、師匠の一門が若手の勉強公演を開いてくださったとき、父が大阪から出てきて師匠のところにご挨拶に伺ったんです。「連れて帰られるんですか?」とおっしゃった師匠に、父は「中学でお預けして以来、一生お預けする、そういう気持ちです」と答えました。それを聞いた師匠は「わかりました、一生お預かりしましょう」と言ってくださったんです。僕を送り出してくれた両親へ感謝すると同時に、師匠と両親の思いに応えていかなければ、という気持ちを新たにしましたね。
また、高校3年生のときに、1カ月海外公演に連れて行ってもらったのですが、字幕も音声ガイドもない時代に、欧州4カ国で歌舞伎が大絶賛なわけですよ。歌舞伎ってすごいんだなと改めて思いましたね。武者震いがするような感覚を味わい、自分は役者として生きていくのだなと思いました。