第1回 ムードメーカーが私の役割 つらくても笑顔を絶やさない 畠山愛理氏 新体操日本代表
「フェアリージャパン」の愛称で知られる新体操日本代表のメンバーとして、ロンドンとリオデジャネイロ五輪に出場した畠山愛理氏。現役引退後もスポーツキャスターや新体操の指導者など、様々なフィールドで活躍し続けている畠山氏が考える自分らしさとは。
── 畠山さんは小学1年生で新体操を始め、22歳で引退されるまで、数多くの実績を残されました。なぜ新体操にそれほど情熱を傾けることができたのでしょう。
畠山愛理氏(以下、敬称略)
中3の時、日本代表入りが決まった3日後にロシアに飛び、その年の半分以上はロシアで合宿生活を送ったんです。実はこの合宿が、私に新体操の新たな魅力を気づかせてくれました。
日本ではミスしないことを特に求められてきたのですが、ロシアでは正確に踊るだけではダメで、観客にどれくらい感情を伝えられるかが大事だと指導されたんです。「あなたたちは女優よ」「親が死んでもマットの上では笑っていなさい」などと言われてはじめは戸惑いましたが、悲しい曲で見ている人が涙を流したり、楽しく踊っている時に自然と拍手が湧き起こったりするのが新体操の魅力なのだと気づきました。それから、ますます新体操に夢中になりましたね。