Vol.13 シナジーの基盤は理念への共感人的資本レポートを起点に変革を目指す エーザイ|佐宗邦威氏 戦略デザインファーム BIOTOPE CEO / Chief Strategic Designer

真坂氏、佐宗氏
人的資本経営の重要性が増しているいま、新たな組織の形が求められている。
人事はどのように、価値を生み出す人・組織をつくるべきか。
第13回のゲストは、エーザイ。
国内製薬業界初の人的資本レポート「Human Capital Report」を発行した同社。
その背景や人的資本経営の実態とは。
佐宗邦威氏とともに、「人的資本経営」を実現する組織と個人の在り方を探る。
[取材・文]=村上 敬 [写真]=中山博敬

現場の思いから始まる人的資本経営のサイクル
佐宗
エーザイが発行している「Human Capital Report(以下HCR)」が人的資本の情報開示に関する好事例として注目されています。HCRの中身については後ほどじっくり話を伺いますが、おそらく情報開示はエーザイのこれまでの人的資本に関する活動が結晶化したものだと思います。エーザイがこれまでどのような考えで人的資本経営の歴史を刻んできたのか、まず教えていただけますか。
真坂
もともと人を大切にする会社でしたが、それが文章化されたのは、現CEOの内藤晴夫が1990年に発表した「エーザイ・イノベーション宣言」からでしょうか。エーザイ・イノベーション宣言は3部構成になっていて、うち1つは内容が完全に人的資本経営について。具体的にはこう書いてあります。
「全員が社の最も重要な資源は人だとの共通の認識を持ち、従ってお互いの人あつかいやコミュニケーションに配慮している。相手を励まし、エンカレッジすることに知恵を絞っている。投入努力対効果を鋭角的に設定し、熟若を問わず常に勝ち味を体験し、面白さを持って目標に挑戦している。エーザイ全体として一つの使命観や価値観を共有し、しかも各々の目的遂行には自ら判断し、決定して事を成すIGO(Integrated Group Operations)スタイルを実践する。かかる組織風土を醸成したい」
当時は「資源」という言い方をしていましたが、これはまさしく人的資本のことです。「投入努力対効果を鋭角的に」はイノベーションを指しているし、「熟若を問わず」は年齢のダイバーシティ。言葉こそ違いますが、今読んでもグッとくるような内容を30数年前に書いていて、それに沿って走ってきた歴史があります。
佐宗
人的資本がイノベーションの文脈で語られている点は非常に興味深いですね。
真坂
当時からビジネスでイノベーションの必要性は指摘されていましたが、私たちは製薬企業であり、常にイノベーティブな薬を開発していくという意識は強かったと思います。エーザイ・イノベーション宣言に「2001年までに世界の20社入りを果たす道具備えは、広義の薬に加え、よりヘルスケアの主役に貢献し得るソフトな何かが必要な予感を覚える」という一文があります。「ソフトな何か」は今でいうデジタルですが、人的資本も該当するかもしれません。
佐宗
この宣言が発表されたのは、皆さんが入社してまもなくか入社前ですよね。実際に働いてみて人的資本経営のエッセンスを感じたご経験はありますか。
三瓶
実は私は人事部への異動前にジストニアという難病にかかって1年半ほど休職した時期があります。休職中は、先が見えない不安との戦いでした。ただ、内藤が励ましのレターを直接くれたり、職場の仲間が「また一緒に働こう」と声をかけてくれました。エーザイはまず人の健康があって、その上に仕事があることを体現している会社だと実感しました。
志方
私は元々研究開発出身で、以前は筑波研究所で探索研究をやっていました。薬づくりの根幹の部分でエーザイの企業理念は浸透していましたし、海外拠点の研究所とやり取りする際も「理念を満たしているか」が意思決定の基準になっていました。
真坂
そもそもエーザイの創業精神は「よい研究からは、よい製品ができる。よい製品によいプロモーションをすれば、よい利益を生み出す。よい利益があがれば、社業はよく発展し、社員もよい給与で報いられる」です。私が入社した当時から社員を大事にするカルチャーは根づいていたと思います。
佐宗
研究から人的資本経営のサイクルが始まるのは興味深いですね。いい研究をするための組織風土はいかがでしたか。
志方
研究員の発案を重視する風土はありますね。昔はそれこそ本当に研究員が面白いと思ったテーマで、枠をあまりはめずにスタートすることが多かった。今は研究が高度化したので線引きが多少変わりましたが、根底に研究員の想いがあることは変わっていません。
真坂
現場の想いから始めるのは、研究開発に限らず全社で共通しています。エーザイは、野中郁次郎先生が提唱された「知識創造理論」(SECIモデル)を実践しています。このモデルの始点となるのが「共同化」で、私たちの事業でいえば、患者様や生活者の皆様と共に時間を過ごすことを指します。
実際、アルツハイマー型認知症の症状の進行を遅らせる「アリセプト」を開発した研究チームのリーダーは、認知症になった自分のお母様と共に過ごした経験が開発のきっかけになりました。共同化で育まれる思いや得られる着想は大きい。仕組みとしても、すべての社員に就業時間の1%、つまり年間2.5日程度を共同化に充てることを推奨しています。