スペシャル鼎談│まずは人事から始めよう ジャーニーマップを共通言語に目指すEX向上とは 沢渡 あまね氏 あまねキャリア 代表取締役CEO 他

従業員体験(Employee Experience、EX)の注目が高まっている。
なぜいま、このような考え方が求められるのか。
EXを向上させるために、人事はどのような活動をしていけばよいのか。
『EX ジャーニー~良い人材を惹きつける従業員体験のつくりかた』(技術評論社)を上梓した沢渡あまね氏、石山恒貴氏、伊達洋駆氏に話を聞いた。
[取材・文]=村上 敬 [写真]=沢渡 あまね氏、石山恒貴氏、伊達洋駆氏
いまEXが求められる理由
―― なぜEXが注目されるようになったのでしょうか。
石山
EXはCX、つまり顧客体験(Customer Experience)から生まれました。企業は顧客にモノやサービスを買ってもらうために、顧客がどのような考えや気持ちを持っているのかを重視します。企業が見ているのは顧客がモノを買ったり、サービスを使っているときだけではありません。モノやサービスを購入するかどうかを検討している段階から、使用後のアフターサービスなども含めて、顧客との接点を一連のジャーニーとして見ています。
一方、従来、企業が従業員を見るときは、入社して退社するまでに限られる傾向がありました。たとえば採用プロセスでも内定者だけへの対応を重視したり、転職で退社をすれば裏切り者扱いをしたり。雇用している間の従業員との関係性だけを重視し、購入や利用の前後も見る顧客体験とは整合性がありませんでした。そうした発想で、企業はこの人口減少時代に生き残っていけるのか、というのがEXが注目されている理由のひとつだと思います。
そもそも日本は、国際比較で従業員のエンゲージメントが低いといわれています。それは、企業が従業員一人ひとりの気持ちを本質的に理解しようというところに、弱みがあったからでしょう。かつてはエンゲージメントが低くても人が辞めませんでしたが、もはやそうはいかない。企業は顧客と同じように従業員の考えや気持ちを捉え直す必要に迫られています。
伊達
EXは人と組織のマネジメントの捉え方として、3つの新しい視点を提示しています。まず1つは、点からフローへ、という視点です。これまで人と組織のマネジメントは、施策を点で捉えがちでした。たとえば採用なら、「どのような求人広告を出せば大勢の応募があるか」と、そのプロセスにおける個別最適を追求していました。しかし、EXは前後のプロセスを含めて一連のフローとして捉えます。
2点目は従業員目線。採用の例のように、これまでは企業側の目線で施策が考えられてきましたが、EXは従業員の側に立って施策を考えます。
3点目は、感情を重視すること。人と組織のマネジメントでは物事をロジカルに考える傾向がありますが、EXでは損か得かより、気持ちに寄り添うことが大切です。
日本は人口減少で、労働市場は構造的に売り手市場が続きます。そうした環境で人材獲得競争を戦っていくために、企業は人と組織のマネジメントを変えていかなければいけません。その際のフレームワークとして有効なのがEXです。
沢渡
人手不足の問題に加え、イノベーションを生み出すためにもEXは欠かせません。たとえばデジタルで新しいサービスを開発するとします。良いサービスをつくるには、ITの能力を持った人はもちろん、他にもデザイナーなど、これまで社内にはいなかった職種の人に協力してもらう必要があるでしょう。
ただ、従来の雇用にこだわっていると、多様な能力を持つ人に仲間になってもらうことが難しい。企業が共創体質になるためには、能力や地域、ライフステージなど多様な人材を味方につけてチームビルディングをしなくてはいけません。実際、我が社は静岡県浜松市にありますが、デザイン能力のある福岡の方にリモートで一緒に仕事をしてもらっています。このように多様な人材と一緒に働くときに、企業側の都合だけで考えているとうまくいきません。イノベーション体質、共創体質になるためにも、企業はEXの発想を持つべきです。
日本的雇用がEXの質を低下させる
―― 欧米のEXに対する考え方はどうでしょうか。
伊達
先ほどの3つの視点でお話ししますと、まず1点目については、欧米は施策を点ではなくフローで捉えるインセンティブがあります。欧米のようにジョブ型雇用においては、「我が社はいま、どのようなジョブが必要か」と先に全体像を描いたうえで募集するため、おのずとフローを意識しやすい。2点目の従業員目線も、欧米はそれを意識せざるを得ません。異動1つとっても合意をとることが当たり前であり、企業側の論理だけで進んではいきません。3点目の感情重視については、欧米も課題であるといえるでしょう。そこは日本とあまり変わらない印象です。
石山
2点目の論点、つまり企業観点か従業員観点かでいうと、日本的雇用の傾向として、企業は無意識に社員を自分のものだと考えているパターナリズムの傾向から脱し切れていません。
日本的雇用における正社員の働き方は、勤務地や勤務時間、職種が限定されずに、本人の同意のない会社の命令が有効となる無限定性が特徴の1つです。それは、裁判所の判例の積み重ねによる解雇権濫用法理で解雇に制約があった一方、企業には強大な人事権が認められたからです。他方、諸外国には、そのような強大な人事権は存在していません。人口減少時代に、労働市場が買い手市場から売り手市場に変わるなか、今後は日本企業が強大すぎる人事権を持ち、個人の私生活が二の次にされてしまう状況は変わっていくでしょう。
沢渡
かつて企業と社員は「御恩と奉公」の関係で、多少の理不尽があっても定年まで勤めあげれば退職金と年金で家族は幸せに暮らせました。また、男性が主力で女性は補助役のような価値観や体制で運営してきた組織も少なくありません。
しかし、もはや奉公しても御恩は保証されず、人権意識や社会規範も変化しつつあります。そこに人手不足が重なり、組織と従業員の力関係は逆転しています。そうなると、従業員は企業にとってマーケティングの対象になる。顧客のペインを解決してモノやサービスを買ってもらうように、従業員の痛みやうれしさ、生きにくさや喜びといったものを理解して寄り添っていかないと、従業員から見放されていくでしょう。