論理学者が語る教養|大切なのは知的好奇心 ロジカルコミュニケーションと教養の相乗効果が視野を広げる 高橋 昌一郎氏 國學院大學 文学部 教授
「教養は、社会人に求められるロジカルコミュニケーションで視野を広げるために不可欠」と話すのは、論理学・科学哲学の専門家、高橋昌一郎氏。
『新書100冊 視野を広げる読書』の著者でもある高橋氏に、教養と論理的思考の関わり、さらに新書を活用した教養の身につけ方などについて聞いた。
[取材・文]=増田忠英 [写真]=高橋 昌一郎氏提供
ロジカルコミュニケーションには教養が不可欠
「教養とは、ひと言でいえば視野が広いことであり、教養のある人とは、視野が広い人のことだと私は考えます」
そう話すのは、國學院大學文学部教授で論理学・科学哲学を専門とする高橋昌一郎氏。高橋氏が今年9月に上梓した『新書100冊』(光文社新書)の副題も「視野を広げる読書」となっている。同書では、「『自己』とは何か?」「いつから『英語』をはじめるべきか?」「『民主主義』は危機に瀕しているのか?」「『地球』はありふれた惑星だったのか?」「なぜ日本は『戦争』を避けなかったのか?」など、ジャンルを超えた100の問いに対応する形で高橋氏が厳選した新書が紹介されているが、このように多種多彩なものに興味を持てる人が教養のある人だという。
「逆に教養のない人をひと言でいえば『何かを妄信している人』です。政治でも宗教でも構いませんが、特定の政治家や教祖の言うことをすべて信じてついていくような人のことです。自分が信じる人が『白』と言えば『白』、『黒』と言えば『黒』と言う。そういう人は、自分で考えることを放棄しているといえます」
教養の根底にあるのは「論理的思考」だという。
「論理的思考というと重箱の隅をつつくことのように思われるかもしれませんが、本来の論理的思考とは『思考の筋道を整理して明らかにすること』です。その過程で様々な見方ができるようになり、視野が広がります」
論理的思考と教養の関係について高橋氏は、死刑制度の問題を例に次のように説明する(図1)。
「『あなたは死刑制度に賛成ですか、反対ですか?』―― このような賛否が議論になる問題について聞かれたときには、賛成か反対かを決める前に、賛成・反対の論点をそれぞれ少なくとも3つ以上、できれば5つくらい挙げることを学生には勧めています。たとえば、『死刑は犯罪の抑止力になるから賛成』『もし冤罪だったら取り返しがつかないから反対』というのは、それぞれが1つの論点です。こうした論点を一つひとつ公平に挙げていき、論点が出尽くした段階で、自分が重視する論点を見極め、賛否を判断する。これが論理的思考です。判断の前提となる複数の論点を挙げるためには、教養に基づいた広い視野が必要になります」
この論理的思考に基づくコミュニケーションを、高橋氏は「ロジカルコミュニケーション」と名付けている。
「新たな論点を探してディスカッションするロジカルコミュニケーションは、それまで自分が気づかなかった考えを聞き、『そんなアイデアもあったのか』と知的好奇心が刺激される、楽しいコミュニケーションです。議論の過程で論点を整理するうちに自分の判断を変えるのも、もちろん自由です。こうしたロジカルコミュニケーションは、クリエイティブな発想を生み出すための基礎でもあります」
また、論理的思考やロジカルコミュニケーションを実践することは、“自己発見”にもつながるという。
「論点が整理されたら、そのなかから自分が重視する論点を選ぶわけですが、それは言い換えれば、論理的思考によって、自分が何に価値を置いているかを見極めることができるということです。これは自己発見に他なりません」
ロジカルコミュニケーションを阻害する「論点のすりかえ」
このような建設的な議論であるロジカルコミュニケーションを阻害するのが「論点のすりかえ」だ。
「私が推奨しているロジカルコミュニケーションは、互いにいろいろな視点を出し合って理解し合うためのコミュニケーションであり、互いにもっと話したくなるコミュニケーションです。しかし、現在の日本にはびこっているのは、互いに自己主張をぶつけ合い、相手を黙らせるコミュニケーションといえます。このようなコミュニケーションはロジカルではなく、論点のすりかえによって話を逸らしているにすぎないことが多いのです」
高橋氏によれば、次のような10の代表的なすりかえ論法がある。
① 対人論法…ある主張に対して、その主張に具体的に反論するのではなく、主張する人の人格や個性を攻撃する。