人事の専門家が語る教養|大切なのは、問題意識を持ち自問自答を続ける思考習慣 求められるのは「正解」ではなく「自論」 物事を本質に導くリベラルアーツの学び方 高橋俊介氏 慶應義塾大学 SFC研究所 上席所員
「日本のエグゼクティブは教養レベルが低い」といわれる理由は、日本人の階級制度に起因していた!?
いま、なぜリベラルアーツが求められるのか。
その学び方や思考習慣について、日本のキャリア論の第一人者であり、リベラルアーツ講座の講師も務める慶應義塾大学SFC研究所上席所員の高橋俊介氏に聞いた。
[取材・文]=増田忠英 [写真]=高橋俊介氏提供
なぜ日本のエグゼクティブは教養に欠けるのか
日本のエグゼクティブが海外のエグゼクティブと話をすると、恥をかくことが多いという。それは「一般的な教養」に欠けるから。もちろん、それはエグゼクティブに限った話ではない。日本人には教養やリベラルアーツが足りない、というのはよく耳にする話である。
その理由について、慶應義塾大学SFC研究所上席所員の高橋俊介氏は、社会人類学者・中根千枝氏の著書『タテ社会の人間関係』を引き合いに、次のように話す。
「日本のエグゼクティブの多くは『タテ社会』の組織のなかで、内向きのキャリアアップを続けてきました。1つの会社のなかで頑張れば、どんどん上に上がれるため、自己投資や学び直しを必要としない社会になったといえます。そのため、仕事に直結するスキルを経験値で学んでいくことばかりが重視され、教養やリベラルアーツのような体系的な学びは重視されてきませんでした」
前述の『タテ社会の人間関係』のなかでは、インドのカーストや、19世紀半ばまでのヨーロッパのような階層社会を「ヨコ社会」、つまり上の階層に上がれない分、横のつながりが強い社会と表現している。一方、日本は江戸時代に士農工商の身分制度はあったものの、階級制度は総じて緩く、特に明治維新や戦後の大改革を経て、完全なタテ社会、つまり1つの組織のなかで誰でも立身出世ができる世の中になった。
「タテ社会で体系的な学びが重視されてこなかった日本と違い、欧米のビジネスパーソンは、それなりの学校に進学するなどして体系的に学ばないと上の層に上がることができない。日本のエグゼクティブが一般に教養やリベラルアーツが苦手とされる背景には、このような歴史上の違いがあったことが、この本を読むとよくわかります」
この例のように、物事の背景にある本質を理解できるようになることこそが、教養やリベラルアーツを学ぶ目的のひとつだと高橋氏は話す。
リベラルアーツは物事を「本質」に導くもの
ではここで、リベラルアーツとは何かを考えてみよう。
「リベラルアーツは日本では一般的教養などと訳されますが、古代ギリシアでは自由人の教養といわれ、特定分野の専門性から自由になって広く本質を考えるという意味があるようです。私は通常、教養よりもリベラルアーツという言葉を使っています」
なぜ、ビジネスパーソンにとって、このリベラルアーツが必要なのか。人事部の身近な課題を例に、その理由を語ってくれた。
「キャリア自律、リスキリング、ジョブ型雇用など、ここ数年、人事領域で注目されている言葉があります。このような言葉が登場したとき、皆さんはまず関連書籍を読んで勉強しようと思うかもしれません。しかし、それでは本質的な問題はわからないでしょう。たとえば『リスキリング』について、なぜ日本人が主体的に自己投資をしないかといえば、先に述べたタテ社会などの歴史的背景が関係してきます。また、欧米の人々が『ジョブ型雇用』にこだわるようになったことを理解するには、社会学者マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』から学ぶ必要があるでしょう。こうしたリベラルアーツ的な学びを深めなければ、バズワードが登場するたびに振り回されることになります」
本質がわからなければ、入り口の段階でむやみに振り回され、答えにたどりつけるはずもない。固定的思想に基づく是非論やバズワードに振り回されずに、すべての物事を本質的に思考する力を身につけることが大切なのだ。