第29回 表現の源泉は少年時代の自分。あのころに届く漫画を描いていく 古屋兎丸氏
『ライチ☆光クラブ』『帝一の國』など、多くの作品が映画化され、人間の暗部を描いた独創的な作風が人気の漫画家・古屋兎丸さん。
少年時代や美大生のころから続く表現することへの思いや、漫画を描くときに大切にしていることについて聞いた。
[取材・文]=平林謙治 [写真]=中山博敬
代表作は“中二病”のバイブル!?
―― 古屋先生の漫画は、『ライチ☆光クラブ』『帝一の國』など映像化された作品も多く、一度見たら忘れられない独特の世界観や登場人物の強烈なキャラクターで、読者の熱い支持を集めています。
古屋兎丸氏(以下、敬称略)
サイン会などでファンの人と直接交流すると、一番多いのは10代、20代。それは20年ぐらい前から変わりません。その年代には一定の需要があるようです。特に根強く支持されているのが、ご紹介いただいた『ライチ☆光クラブ』という作品で、「最初に読んだのはいつですか」と聞くと、小学校高学年から中学生という人が圧倒的に多い。発表してもう17年たちますが、毎年版を重ねていて、担当編集者曰く「思春期のバイブルの1つになりつつある」そうです。太宰治の『人間失格』みたいな感じで、いわゆる“中二病”のバイブルなんじゃないかと。
―― 10代の少年少女に、時代を超えて刺さるわけですね。
古屋
だと思います。というのも、僕自身が中学生の自分に読ませたい、あのころの自分に刺さるようなものを描きたいと思っているので。それが描くモチベーションなんです。その年頃の子たちが抱える根本的な悩みとか趣味嗜好って、実際に若い読者と話しても、昔とそう変わらない。そこは確信が持てますね。
―― 古屋先生はその年頃で、すでに漫画家を志していたのですか。
古屋
小学生のときにはもう、将来は漫画家と明確に決めていました。小3ぐらいから、漫画好きの同級生4~5人でコピー本の同人誌みたいなものを作って、配ったりしていたんです。もちろんジャンプ、マガジン、キングといった少年誌は、当時から全誌読んでいました。子どもながらにそういう雑誌に描けるような作家になりたいと思っていたし、それしか知らなかったですからね。
中学に入ってからかな、だんだん少年誌から離れていったのは。大友克洋先生とか諸星大二郎先生、萩尾望都先生みたいな、大人向けな方向に傾いていって。少年漫画も、中学と同時に卒業という感じでした。
そして、そのころの僕は、とにかく“都会”へ出たかったんですよ。