組織を強くする「インテグリティ」の考え方と実践法
SDGsが重んじられるいま、コンプライアンスの重要性も高まっているが、企業の不祥事は後を絶たない。
一方、過度なルールを強要すれば「コンプラ疲れ」が広まってしまう。
そこで注目したいのが「インテグリティ」である。
「コンプライアンス」とは似て非なるものであり、インテグリティを高めることができれば、企業には多くのメリットがあるという。
この考え方と取り組み方について、弁護士の中山達樹氏が寄稿文を寄せた。
中山達樹氏 弁護士・経営倫理士(寄稿) [写真]=中山達樹氏提供
なぜ「インテグリティ」なのか
いま、「インテグリティ」に注目が集まっている。これはコンプライアンスと似たものであるが、“コンプラ疲れ”といわれるコンプライアンスの限界を補い、さらに組織にも様々な良い影響を与えることが期待されるものである。
インテグリティ(integrity)の原義は「完全」である。そして、良心という「下から」自発的・自然に湧き上がってくる自律的な規範のことを指す。一方、コンプライアンスは、「上から」押し付けられる他律的な規範であり、インテグリティとは一線を画す。
他律的なコンプライアンスでは、「悪いことをしない」という消極的な捉え方をしがちだ。一方、自律的なインテグリティでは、「良いことをする」という積極的な捉え方をする。「言われたこと」をするのではなく、自分で考えリーダーシップを発揮して「期待されること」をするのがインテグリティだ。「ちゃんとやる(Do things right)」がコンプライアンスで、「正しいことを行う(Do the right thing)」がインテグリティといえる。
そもそも、30年前にアメリカから導入されたコンプライアンスは、「遵守」という堅い逐語訳のせいで、受け身的・ネガティブな手垢が付いてしまっている。ルールを官僚的に適用することで、以下のような本末転倒的な結果を招く例も多い。
・「気温が30℃以上ではプールに入れない」方針の小学校で、校庭でリレーをさせて生徒が熱中症になった。
・「最短距離」で定期券を申請する規程に縛られ、より早くより安いルートでも定期券を使えない
このように、コンプライアンスには限界がある。
また、コロナ禍で広まったテレワークでは、物理的に上司の目が届かないため、自宅での勤怠管理やセキュリティーなどは各自の良心に任せざるを得ない部分がある。それも、コンプラでなくインテグリティが求められる理由である。
現在、日本の時価総額ランキング上位20社中、12社が企業理念にインテグリティ(Integrity)を掲げ、その数は海外大手企業では9割にのぼる。それほどインテグリティは重視されているということを、まずはお伝えしておきたい。
個人のインテグリティ
インテグリティについて、個人のインテグリティと組織のインテグリティの2種類に分けて説明する。まずは、個人のインテグリティについてである。
前述のように、インテグリティ(integrity)の原義は「完全」であり、個人のインテグリティは、「誠実」「高潔」「真摯さ」などと訳される。これは「誰も見ていなくても正しいことをすること」といえ、倫理や道徳と近い。多くの日本人が持つ「お天道様に恥ずかしいことをしない」感覚といえる。
別の言い方をすれば、ハードロー(書かれた法)のみならず、ソフトロー(書かれていない不文律)も守ることがインテグリティだ。概念的には、インテグリティは、コンプライアンスと法令順守を包括している(図1)。このような広いインテグリティを、個々人が現場=水際で行使すれば、インテグリティがコンプライアンスの「防波堤」になる。テレワークでも、現場の全員が良心を発揮して不正を防止すれば、上司や管理部がコンプライアンスを声高に言う必要もなくなる。
個人のインテグリティ違反の具体例としては、2016年、舛添要一都知事(当時)が湯河原の別荘に公用車で行った際、「ルールを守っているから問題ない」と開き直ったのが典型だ。彼は批判を受けてすぐ辞職した。ルール(ハードロー)を守ればいいわけではなく、常識(ソフトロー)に従うことも要請される。
他に、インテグリティ違反といえる身近な例を図2にまとめている。このように、生活のなかにインテグリティは溢れている。端的には、違和感や引っ掛かりを感じたら、すべてインテグリティ事例といえる。