第23回 「好き」を極めた先に拓いた学問 城郭から見る社会と生き方 千田 嘉博氏 城郭考古学者
メディアで活躍する城郭考古学者の千田嘉博さん。
城への愛が溢れる、わかりやすい解説が人気だ。
実は多角的な視点で城郭研究を切り拓いてきた先駆者でもある。
城とともに私らしく生きてきたその歩みと、城から学べることとは。
「城郭考古学」が誕生するまで
―― お城の話をされるとき、本当に楽しそうなご様子ですね。
千田嘉博氏(以下、敬称略)
私の場合、遊びが仕事になっているので、境目がないんです。楽しくないわけがありません。それでお金まで頂いているのです。
でもお城の研究って、昔は今ほど人気があるテーマではありませんでした。私は中学生のときに、旅行先で見かけた姫路城にひと目惚れして以来、ずっとお城を巡っていましたが、「藪の中に素敵な堀の跡があってね。今度見に行こうよ」なんて女子を誘っても誰もついて来てくれない(笑)。今でこそ性差に関わりなく皆さんが各地のお城を訪れて、記念グッズも買って地域経済にも貢献していらっしゃいますけど、私の青春時代には夢にも思いませんでした。
―― 今や先生がその人気に拍車をかけていますね。ところで、先生は特に考古学としてお城を研究されているとのこと。
千田
私が現在研究を進めている「城郭考古学」は、40年前はまだ世の中に存在していませんでした。当時、お城の研究は古文書など「文字史料」から研究するもので、考古学では扱わなかったからです。「考古学」は、縄文時代や弥生時代などの古い時代の遺跡調査をイメージされる方が多いと思いますが、主に土の中に埋まっている遺跡の発掘調査をして、当時の人たちがつくった「物質資料」から研究する学問です。そのため古文書や文字以外のことが研究対象になります。一方、多くのお城が造られた中世の歴史を研究するときは、古文書などの文献史料がたくさんあるので、文献史学として研究するのが一般的でした。
しかし私自身は、古文書だけでなく地元の人にも忘れ去られてしまったような城跡を実際に訪れて観察するのが好きでした。だから常識に反して、「お城のことを考古学として研究しよう!」と決心したのです。
―― 進学された奈良大学には千田先生の目的を叶える学びがあった。
千田
はい。奈良大学には「文化財学科」という面白い学科があり、古文書で調べるか遺跡で調べるかという2択ではなく、歴史を総合的に研究する試みが始まっていました。もっとも、考古学の発掘調査のスキルは教室で勉強するだけでは身につきません。現場で測量したり、手順を踏んだうえで遺構を掘るなど現場でのテクニックを身につけて初めて研究者になれるんです。
幸いなことに、奈良県では年中どこかで発掘調査をやっています。授業の合間に「現場に入れてもらえませんか?」とお願いすると「おお、来い!」なんていう、すぐに仲間に入れてもらえる時代。現場で若手を育てる意識が強かったので、自治体の文化財担当課や研究所の皆さんの薫陶を多く受けました。
ただ、辟易したこともあります。「おまえ大学で何を研究してるんだ」と聞かれて「お城です」と答えると、調査員の皆さんはもう100%、巨大なクエスチョンマークを頭に浮かべます。そして「城は考古学じゃないだろ!」と、いつも否定されました。
―― そうしたなか、どうやって研究を深めていったのですか。
千田
大学4年のとき、大学院へ進もうと考えていたのですが、ラッキーなことに名古屋市の学芸員に就職が決まりました。これがまた楽しい仕事で! 月曜から金曜は、さあ縄文時代の遺跡だ、次は昔の窯の跡だと発掘し、夜になると膨大な発掘調査資料を読みあさったものです。さらに、週末は好きなお城を訪ね歩いて、論文を書き進めていました。