渋沢栄一氏の玄孫、渋澤健氏が語る ムーンショットのヒントは『論語と算盤』にあり 渋澤健氏 シブサワ・アンド・カンパニー株式会社 代表取締役
大河ドラマ『青天を衝け』で熱く描かれた、「近代日本経済の父」渋沢栄一氏の生涯。
現代社会の基盤をつくった渋沢氏が生きていたら、今の日本や日本企業をどう見て、何を語っただろうか。
『論語と算盤』に書かれている、リーダーの在り方とは。
誰もが今求められる、1人も取り残さない持続的な社会の実現への取り組み(SDGs)と『論語と算盤』には共通点も、実現に向けてのヒントもある。
栄一氏の言葉を現代に伝える玄孫の渋澤健氏に、お考えや活動も含めて聞いた。
※文中の『論語と算盤』は角川ソフィア文庫版からの引用
「もっとできるはず」を一生かけて追求した渋沢栄一
―― 『青天を衝け』は、子孫としてどうご覧になりましたか。また偉業の原動力はどこにあるとお考えでしょうか。
渋澤健氏(以下、敬称略)
キャストが発表になったときにまず、「ありえない!」と思いましたね。主演の吉沢亮さんがあまりにもカッコよすぎて(笑)。でも私が思っていた大事なシーンはすべて描かれていましたし、放映終了後、“渋沢栄一ロス”を感じています。
栄一のバイタリティーは、どの立場にあっても現状に満足せず、よい明日を築こうという未来志向から湧き上がるものだったと改めて思います。その意味でも『青天を衝け』というのはぴったりのタイトルでした。
『論語と算盤』にも、もし若いころ志がふらつかず、すぐに実業界に身を投じていたなら、「現在の渋沢以上の渋沢を見出されるようになったかもしれない」とあるように、決して現状に満足してはいませんでした。
一方で栄一は人に恵まれていて、なんと言っても平岡円四郎との出会いがなければ、徳川慶喜公に仕えることもなかった。また、対立もしたけれど大隈重信にあのタイミングで出会わなければ明治政府に入ることもなかったでしょう。そして多分、子孫の私は今、存在していないと思います。
―― 健さんはどんなきっかけで栄一氏の教えを伝え始めたのですか。
渋澤
私は五代目で、栄一の孫の孫はたくさんいます。しかし不思議なことに彼の研究や紹介をしている人は、身内にいませんでした。私自身、小学2年から米国でしたし、大学を出て帰国してからも外資系に勤め、『論語と算盤』とは遠い世界にいたんです。で、ある酒席で叔父が「君は渋沢家の家訓を破っているぞ」と。調べてみたら「投機の業、又は道徳上卑しい職に従事すべからず」という家訓が本当にあったのです。私はずっと金融市場でトレーディングの仕事をしていたので、なるほどと。
そのことがきっかけで栄一のことを調べ始めて、多くの言葉を残していたことを知り、もっと調べれば私にとって都合がいい言葉もあるのではないかと(笑)。そうしてさらに読み進めると、いまの時代にも通じる本質がたくさんあることがわかり、学び続けるようになりました。調べ始めたのは20年ほど前、自分で会社を立ち上げる直前です。