OPINION2 問われているのは手法ではなく行動変容 チームの弱体化を招く、オンラインコミュニケーションの落とし穴 村瀬俊朗氏 早稲田大学 商学部 准教授
テレワークの定着にともない懸念されるのは、組織における一体感の希薄化だ。
コミュニケーション手法が限られるなかで、私たちはチームでのやり取りをどのように工夫していくとよいのだろうか。
アメリカでの研究の経験も豊富なチームワーク研究の専門家、早稲田大学准教授の村瀬俊朗氏に話を聞いた。
個が集まっただけではチームは機能しない
私たちの仕事は、複雑化かつ高度化の一途をたどる。ミケランジェロやダ・ヴィンチの時代は、彼らが芸術家でありながら建築家や研究者でもあったように、多方面に才能を発揮することができた。だがいまや数学で新たな定理を証明するのですら、チームでなければ達成は困難だ。
チームワークとリーダーシップに詳しい、早稲田大学商学部准教授の村瀬俊朗氏は、コミュニケーション不全の集団は、チームの体を成しているとはいえないと断言する。
「チームは共通の目的や目標に向かい、互いに助けあいながら作業を進める運命共同体のようなもの。個人で完結することなら、チームをつくらず個で動いた方が生産性ははるかに高いはずです。裏を返せば、個がただ集まっただけでは、チームは機能しません。多角的かつ広範な視点で全体を把握し、各々の専門性を統合させるプロセスが不可欠であり、そこにコミュニケーションの価値が問われます」(村瀬氏、以下同)
スーパープレーヤーを集めたドリームチームが必ず勝てるとは限らない。個の力では劣るチームが試合本番で総和以上の力を発揮するのは、チームワークの賜物といえる。
シナジーを生み出すコミュニケーションを成立させるには、個人が意識すべき姿勢があるという。
「1つは他者への尊敬です。すべての意見には価値があると認め、自分の考えとは違ってもまずは聞くこと。もう1つはパースペクティブ・テイキングといって、相手側の視点から課題を眺める能力です。チームの多様性が高くなるほど、この2つが求められます」
チームワークの土台となる「共有認知」
各々の専門性が高いほど、認知バイアスに縛られがちである。村瀬氏は「私の場合は専門であるチームワークの知識に当てはめて物事を考えがちです」と語る。こうした認知の歪みの積み重ねは、誤った意思決定を招きかねない。それぞれがバイアスの存在を自覚し、相手の視点に立つことでフラットな判断が可能になる。
バイアスに関連し、言葉とメッセージの乖離にも注意したい。たとえば「子どもの面倒を見て」と言ったとき、夫婦の間でもその認識に差があることがある。子どもと一緒に遊んだり、あやしたりすることを求める意味だとしたら、泣いたりぐずったりするまで何もしない受け手の態度にイライラすることだろう。この場合の解決策は「子どもと遊んだりあやしたりして」と伝えるだけではない。
「鍵となるのは、チームに根づく共通の考えや価値です。『共有認知』と言いますが、これが定着していると、それぞれが役割を全うし、うまく連動するようになります」