第7回 素直・謙虚・感謝の気持ちで 努力を続けていれば 辛抱はきっと花開く 森脇健児氏
毎年春・秋に開催されるTBS「オールスター感謝祭」の名物イベント「赤坂5丁目ミニマラソン」の常連としてもおなじみの森脇健児さん。レギュラー番組を12本もつ超売れっ子のお笑いタレントが、なぜ突然仕事がなくなったのか。そこからどのように再ブレークを果たし、“走る男”のポジションを築いたのか、話を聞いた。
“アカサカンドリーム“を求めて
――TBS「オールスター感謝祭」の赤坂5丁目ミニマラソンの渾身の走りには、一視聴者としていつも勇気をいただいています。2019年4月の放送では、若いライバルたちを抑えて2年ぶりに優勝されました。
森脇健児氏(以下、敬称略)
ありがとうございます。僕、あの番組には16年連続32回出してもらっていて、2003年、17年、そして今回と3回優勝しているんですよ。優勝しても、僕がテレビにちゃんと映るのはせいぜい20秒。スタート前後の10秒とゴールする瞬間の5秒。それに、レース後のインタビューが5秒ぐらいかな。でも、その20秒のために、毎日走り込んで練習しています。
番組を見た方はご存知と思いますが、赤坂ミニマラソンのコースは、とにかくアップダウンがきつい! 急に曲がったり、折り返したり、めちゃくちゃトリッキーじゃないですか。平坦な道路やスポーツジムでいくら鍛えても勝てないんです。あのコース専用の練習をせなあかん。もともと陸上競技部やったからわかるんです。そのためにわざわざ、自宅も京都嵐山の山奥へ引っ越しました。近所のお寺の石段とか険しい山道を上り下りするコースを毎日10周。いまもそれをやり続けています。
――同番組でマラソンを走る前に、毎回“遺書“を書かれるそうですね。どういう心境なのですか。
森脇
後輩芸人にもよくいじられるのですが、決してネタじゃありません。やっぱりテレビに出していただく以上、死ぬ気で頑張らないと。遺書は、その決意表明みたいなもので、オールスター感謝祭で走り始めたころからずっと書いています。
というのも、当時は僕、仕事がほとんどなくなっていたんですよ。東京なんてめったに行けない。それが、ひょんな成り行きからあんな大きな番組に呼んでいただいたんです。赤坂のコースの途中に“心臓破りの坂“と呼ばれる急坂があるのですが、そこへトップでさしかかったとき、「あの坂の向こうに夢がある。もう1回芸能界で生きていく場所がある。これは俺の“アカサカンドリーム“や!」と、閃いたんです。だから、命がけで走らなあかんと。結局初めてのミニマラソンで優勝したのですが、それからですね。遺書を書くようになったのは。