第3回
禅(十牛図) 坪谷邦生氏 株式会社壺中天 代表取締役/壺中人事塾 塾長
品川皓亮氏 株式会社COTEN歴史調査チーム/「日本一たのしい哲学ラジオ」パーソナリティ/元弁護士
坪谷邦生氏
「人を生かして事をなす」ための思考のフレームワークを人事・哲学の専門家である坪谷邦生氏と品川皓亮氏に伺う本連載。
不透明で正解のない時代、二者択一を迫られ、悩むことも多い人事パーソン。今回、取り上げるテーマは「禅(十牛図)」だ。出口のない迷いや苦しみから自らを解き放つ禅とは―。悟りに至るプロセスを図解した「十牛図」から、その糸口を探る。
[取材・文]=西川敦子 [写真]=坪谷邦生氏、品川皓亮氏提供
人事の現場は“分別”だらけ? とらわれから解放される道とは
―― 禅とはそもそもどんな思想哲学なのでしょうか。
品川:
禅の歴史は長く、ルーツは中国やインドにあります。今回は日本の鎌倉仏教にフォーカスして説明することにしましょう。鎌倉時代には浄土宗や浄土真宗、日蓮宗など様々な新興宗教が誕生しました。禅宗の二大宗派、臨済宗と曹洞宗が広まったのもこのころ。禅宗は誰もが救われるとする「大乗仏教」の流れを汲みながらも、自分で悟りを開く「自力救済」を説きます。つまり、禅とは自らの力で悟り、救いに至るための方法論といえるでしょう。
少し難しい話になりますが、禅ではものごとを区別する自分の認識、「分別」こそ執着のもと、苦しみの根源と捉えます。「これは高級車だ」「あいつは嫌な奴だ」。どちらも分別です。「私/あなた」の区別さえも分別といえます。
万物は移り変わります。仏教においては仮の姿、“現象”にすぎません。分別にとらわれず、物事をあるがままに見る「無分別」の状態こそ悟りである、と禅では考えます。
坪谷:
分別は、とらわれそのものと見ることもできます。人間、何かにとらわれていると苦しいですよね。人事の仕事もとらわれが多く、つらいこともあります。たとえば経営層から「このままだと、人件費が膨らんで経営が破綻する。中高年の給与を下げてくれ」と指示が下りる。現場に相談すると、「シニアが活躍してくれたからこそ、今があるのじゃないか」と反論される。悩みますよね。
悩んだら、まずは5つの思考法の概念図(末尾参照)の左側、〈統合〉にあるようなロジックを駆使し、考え抜きましょう。それでも答えが出ず、行き詰まってしまったら右側の〈超越〉、禅などの東洋思想で状況を俯瞰するといいでしょう。
―― どうすればとらわれから自由になれるのでしょう。禅の教えとは。
品川:
禅では、悟りのヒントを得るためのメニューがいくつか用意されています。座って瞑想させる坐禅(只管打坐)は、よく知られます。公案といって、いわゆる「禅問答」のような難しい問題を考えさせるやり方もあります。「手でつかまずに鋤を持つには」「手と手を触れ合わせずに、手を叩いて音を出すには」など論理的に考えたら答えの出ない問いを与え、分別を捨てさせるのです。
と言われても、悟りや分別がどんなものかイメージできないという人も多いですよね。そこで迷える人の道しるべとされてきたのが「十牛図」です。悟りの境地に至るまでの過程が10のステップで解説されています。作者は中国宋時代の禅僧、廓庵。12世紀頃の作です。
不思議な絵が10枚並んでいますよね(図・①-⑩)。主な登場人物は少年と牛です。牛には何を代入してもいいのですが、禅では「本当の自分」を表しているとされます。

自分探しの旅に出よう~牛をつかまえ、飼い馴らす
品川:
さっそく1コマ目(①)の「尋牛(じんぎゅう)」から見てみましょうか。牛飼いの少年がきょろきょろあたりを見回しています。「牛がいないぞ」とほうぼう探し歩き、ヘトヘトになっているところから物語が始まります。2コマ目(②)が「見跡(けんせき)」。牛の足跡を発見するシーンですね。1コマ目で疲れ果てた末、やっと探し当てました。ここまでの頑張りはムダじゃなかったんだな、と読み解けます。

