第42回 大切なのは自分の評価軸と得意技の掛け合わせ。弱さも認め、自分らしいキャリアの構築を 野口聡一氏 国際社会経済研究所 理事 兼 CTO/ IHIアカデミー長
野口聡一氏
宇宙飛行士として数多の実績を挙げた野口聡一さんは、3年前にJAXAを退社。現在は講演や教育、研究活動など幅広く活躍する。
同氏はどのように第2のキャリアを切り拓いたのか。
また、自分らしい人生を歩むために、同世代の読者に伝えたいこととは――。
[取材・文]=村上 敬 [写真]=野口聡一氏提供

達成感を得られたのは成長が認められたとき
―― 96年にNASDA(現JAXA)の宇宙飛行士候補生になって以降、3回の宇宙飛行に成功しました。長い宇宙飛行士生活のなかで、どのような瞬間に自分らしさを感じましたか。
野口聡一氏(以下、敬称略)
私はもともと普通のサラリーマンでした。96年に宇宙飛行士候補生になってからほぼ四半世紀はNASAのあるアメリカを中心に仕事をしていました。その間に子どものころからの夢を叶えたわけですが、ある特定の瞬間というより、一人の職業人として自分の技術力を磨いていき、困難がありつつも、国際的な大きな舞台で多くの人たちと関わり合いながら仕事をしているときに自分らしさを感じていた気がします。
自分らしく生ききれていると感じたのは、単なる組織の歯車ではなく、自分という個が認められて、それがアイデンティティとなってからでしょうか。マズローの5段階欲求説でいうところの4段階目ですね。実際、私は日々の訓練や宇宙飛行中の生活などでちょっとした成長ができて、それを組織や仲間に認められたときに、達成感を得られていました。
―― 宇宙からの情報発信やメディアでの活動にも積極的でした。
野口
人間は社会的な動物で、目の前にいる人の瞳に映った姿を見て自分を認識します。そういう意味で、自分が発信したものに対する友人知人や世間からのレスポンスは、自分らしさを再認識する大きなきっかけになると思います。
宇宙飛行士はもともと技術者や研究者の理系が多く、かくいう私も理系です。理系の人は、どちらかといえば感情も含めた自己表現があまり得意ではありません。
しかし、そのなかで私は早くから自分のやっていることを外に発信することを厭わなかった。発信したことをきっかけに、様々な挑戦の機会を頂いて、「宇宙飛行士って世間からこう見られているのか」と知ることができました。とてもいい経験だったと思います。

