「迷ったら挑戦する道を選ぶ」自ら尖った前例となり、多くの人をエンパワーする 稲垣裕介氏 ユーザベース 代表取締役 Co-CEO/CTO
本社エントランスに飾られた写真のなかにマンションの1室で撮られた1枚があった。
そこに写るのは稲垣裕介氏、梅田優祐氏、新野良介氏。
この3人によって2008年に創業されたのがユーザベースだ。
現在、創業メンバーとして唯一残る稲垣裕介氏にこれまでの遍歴、会社や従業員に対する想いを聞いた。
[取材・文]=平林謙治 [写真]=山下裕之
文化の違いでぶつかった創業期
―― 今年4月にユーザベースは創業15周年を迎えました。共同創業者の1人として、当時の苦労というとまず何を思い出しますか。
稲垣裕介氏(以下、敬称略)
外へ打って出る以前の、内部の人間関係でしょうね。我々創業メンバー間の軋轢というか……早い話が喧嘩ですよ(笑)。僕は今いる社員に、そういう昔話もかなり赤裸々に語るようにしています。志を持って起業したといっても、実際はキレイな話ばかりじゃないですから。たとえば入社研修で当社のバリューを伝えるときも、過去にこんなバトルやトラブルがあったから、それを解決するためにこういう話し合いを重ねて、このバリューを作ったんだよ、と。リアルなストーリーを語った方が刺さりやすいのは確かです。
当社は、僕の高校時代からの友人の梅田(優祐氏)が構想した経済情報プラットフォーム「SPEEDA」を世に出すために、梅田と彼の前職で同僚だった新野(良介氏)と僕の、3人で創業しました。僕自身はもともとエンジニアですから、せっかく自社開発で起業するなら、Googleみたいに尖ったエンジニアが輝けるチームを創りたいというこだわりがあったんです。実際、自分が連れてきたエンジニアたちにも、そういう想いを伝えていました。でも、ビジネスサイドを担う梅田や新野たちと、最初はカルチャーの部分でなかなか折り合いがつかなくて……。よくある開発と営業の対立というとそれまでですが、スーツを着る・着ないとか、毎朝定時に出社する・しないとか、そんなくだらないことでもやたらと揉めていました。
―― どうやって乗り越えていったのですか。
稲垣
夢中で突っ走っているうちに、創業者間の対立は2年ほどで収まりました。お互いへの理解が深まり、あえて言わなくても共通の価値観が伝わるようになってきたんですね。でも、事業が拡大し、人が増えるとそうはいきません。齟齬が広がり、一時は内部崩壊の危機もありました。最終的に組織全体がまとまり始めたのは、“共通の価値観”をバリューとして言語化し、共有するようになってからでしょう。
多くの人から、感謝されたかった
―― 稲垣さんご自身が創業に参加した経緯をお聞かせください。
稲垣
前職のコンサルティング会社では、ITエンジニアとして開発に没頭していました。26歳のとき、梅田に誘われて共同創業者になったわけですが、もともと僕のなかでも、起業は1つの夢だったんです。梅田とは学生のころに、「おまえがつくりたいものができたら、CTOとして雇ってやるよ」なんて話していましたしね。ただ、1つの会社を立ち上げたらまた別の会社へ―― というふうに、いろいろな起業を手伝っていくことで、多くの人から感謝されたい。当時の僕は、そんなキャリアライフを描いていたんです。だから、腰かけ感も正直ありましたね。
実際、梅田には「2年ぐらいで」と相談もしていました。もちろん仕事自体はやり切るし、いいモノをつくりたいという思いは強かったけれど、人や組織もあきらめないで、いい会社をつくるという意識は薄かったと思います。創業者ではあっても、どこか他人事だったかもしれません。