個を活かす│バウンダリー・マネジメント 仕事とプライベートの境界をマネジメントする 佐藤博樹氏 中央大学大学院 戦略経営研究科 教授
テレワークや勤務制度の充実により、いつでもどこでも働ける一方で、仕事とプライベートが中途半端に混ざり合い、心理的負担を感じる人も少なくない。双方をどのようにスイッチすれば、働きがいと生きがいを高めることができるのか。その課題を解く鍵は、「バウンダリー・マネジメント」にある。中央大学ビジネススクール教授の佐藤博樹氏に、ポイントをたずねた。
[取材・文]=たなべ やすこ [写真]=佐藤博樹氏提供
仕事と仕事以外の相互浸透
バウンダリー・マネジメントとは、仕事と仕事を除いた生活の境界(=boundary)を管理することを指す。人的資源管理と働き方の多様性に詳しい、中央大学大学院戦略経営研究科教授の佐藤博樹氏によれば、欧米を中心に2000年代中ごろから議論され始めたものだという。
「発端はワーク・ライフ・バランスにあります。従来は仕事とプライベートを、働き手の可処分時間にどう割り当てるかに主眼が置かれていました。しかし両者は対立関係ではなく、むしろスピルオーバー※しているのではないかという見方が注目されています」(佐藤氏、以下同)
たとえば仕事での成功や、部下の成長につながる経験が、家庭円満や子育てにも作用することはないだろうか。また日々の育児で感じた面倒なことが、仕事では新たな企画のヒントになるといったことも起こり得る。こうした仕事とプライベートが相互作用により質を高め合うことは、ワーク・ライフ・エンリッチメントともよばれる。もちろん逆もある。夫婦喧嘩が尾を引いて部下への当たりが厳しくなる、家庭の心配ごとが気になって、仕事に集中できないという場合などだ。
ただ、ひと口にバウンダリー・マネジメントといっても、その程度は働く環境や職種、社会背景などによっても変化し必ずしも一律ではない。
米国・パデュー大学教授のエレン・アーンスト・コセック氏は、仕事とプライベートが浸透する事態を、仕事中に家族や個人的な用事に対応し、プライベートな時間にも仕事をする ①〈統合型〉、仕事中に私的な用事が差し込むことはないが、プライベート時間に仕事が浸透する②〈仕事優先型〉、②とは逆に、仕事時間に私的な用事が浸透し、プライベート中は仕事と切り離せる③〈家庭優先型〉、仕事とプライベートが完全に切り分けられる④〈分離型〉の4つに分類した。さらに4分類に働き手自身が自分の意思でバウンダリー・マネジメントを行うⒶ〈能動型〉と、働き手自身でマネジメントできないⒷ〈受動型〉の2形態を掛け合わせることで、8類型に区別した。この区分と詳細データについては、後述する。
※ スピルオーバー:ある要素の変化によって、直接関係のない思わぬところに作用すること。本来の意味は漏れ出す、溢れ出すなど。
通信の発達が境界を曖昧に
国内でも仕事とプライベートの兼ね合いが、働き方改革やダイバーシティ&インクルージョンと併せて、ここ10年ほどの関心ごとだった。佐藤氏は特に近年、バウンダリー・マネジメントの重要性が高まる背景として、次の3点を挙げる。
「まずは、テレワーク、在宅勤務の浸透です。主にデジタル技術の発達によって、勤務先に依存しない働き方ができるようになり、コロナ禍がその流れを促進しました。2つめは、産業構造の変化やグローバル化による仕事の24時間化です。サービス産業が発展し、9時から17時勤務で土日休み、といった勤務形態が当たり前ではなくなってきています。また海外とのやり取りが増えれば、時差の関係で夜間帯や早朝に打ち合わせが入ることもあります。そして3つめの理由が、働き方の柔軟性強化。個々の仕事の状況に応じて、働き手自身の意思で時間と場所を選べる機会が増えました」
働き方の柔軟性に関わる具体的な制度としては、フレックスタイムや裁量労働制、高度プロフェッショナル制度などがあるが、これらに該当しない場合でも自分で働き方を選択できるケースが広がっている。3つの背景は複合的に関係し、特にコセック氏の類型でいう①〈統合型〉が進みやすい。
かつてなら終業時間を迎えオフィスの外に出れば、物理的に仕事を遮断し、プライベートを満喫できた。だが常時オンラインの現代ではそうもいかない。家にいても上司や取引先からビジネスチャットやメールが届けば、つい対応してしまうものだ。あるいは仕事に集中していたタイミングで子どもの保育園や学校からの連絡を受け、すっかりペースを乱されてしまったなど、子どもを持つ親であれば経験済みではないだろうか。
働き手の意思のもと調整できるか
「働く」「暮らす」の切り分けが難しくなると何が起こるのか。考えられるのは、本人も無自覚なうちに仕事に翻弄される状況だ。ともすれば、休日の旅行中でも、海や山の景色を眺めているよりスマートフォンを見ていた時間の方が長かった、ということになりかねない。この状態が何年も続けば、メンタルに不調を来すのは時間の問題である。
こういう例を取り上げると、働き方の柔軟性が問題のように感じられるが、それは早計だ。
「むしろ一時的に仕事から離れ、テストを控えた子どもの勉強を見る、ビジネススクールに通い教養を深めるなど、やり方しだいでは仕事一辺倒の状況から脱却し、個々の生活が充実する可能性は高まるでしょう」
とはいえ現実は難しい。裁量労働制で働くプログラマーやWebディレクターなどは、有能な人ほど数々の業務が舞い込む。1人のビジネスパーソンの職業人生を長い目で見れば、1日の大半を仕事に捧げるタフな状況を乗り越えて、成長する側面もあるだろう。