OPINION1 日本企業は“技術信仰”から抜け出せ デザイン軽視の風潮が衰退を招く 企業の競争力を高めるデザイン経営の実践 鷲田祐一氏 一橋大学 大学院経営管理研究科 教授
かつて日本は、圧倒的な技術力で「良いものを安く」生み出し、世界を席巻した。
だがその成功体験にとらわれ、「デザイン」という観点が軽視されてきたことがいまの日本企業の疲弊を招いていると一橋大学の鷲田祐一教授は話す。
生産性向上の切り札となるデザインの力とは。
またデザイン経営とは何を意味するのか、話を聞いた。
忘れられた経営の神様の“予言”
「これからはデザインだ」――米国視察出張から帰国したパナソニック創業者の松下幸之助氏が、羽田空港での第一声でこう語ったのは、高度経済成長“前夜”の1951年のことである。経営の神様が、時代の先の先を見越して鳴らした、日本のモノづくりへの警鐘だったのだろうか。
はたして、それは的中する。
往時の日本製品は安く、その割に壊れないことを競争力の源泉としていたが、1985年のプラザ合意を経てバブル景気を迎えるころには円の競争優位は失われ、安価と品質だけでは戦えなくなっていった。
いまや周知の「イノベーション」という言葉が、その必要性とともに叫ばれ始めたのもこの時期である。しかし、日本のモノづくりにおける「イノベーション」の意味は世界のそれと大きくズレてしまった。いわゆるガラパゴス化の隘路へと陥ったまま、いまだ競争力を回復できずにいる所以であり、その変質と凋落の過程で見失われていった要素こそが、ほかでもない、かつて松下幸之助氏が看破した「デザイン」なのだ。
わが国では、経済や産業の文脈でイノベーションを論じるとき、大抵「技術革新」と訳される。その技術革新とは、研究・開発によって新しい技術を生むこと、つまり発明とほぼ同義といっていい。しかし、イノベーションの本質は、発明そのものではなく、新技術を実用化した結果として、人々のくらしや社会の在り様が劇的に変わることであるはずだ。
イノベーションは、新技術だけで起こせるものではない。それを利用する生活者の視点で社会のニーズを洞察し、新しい価値に結びつける。そしてその新しい価値がユーザーの実感により良く伝わるよう、製品やサービスを通じて表現する。まさに「デザイン」という営みが介在してはじめて、発明はイノベーションへと昇華するのである(図1)。
実際、デザイナーとよばれる人材は観察の達人で、潜在的なニーズを見極め、カタチにするのがうまい。にもかかわらず、日本企業ではこれまで、彼らがイノベーションを主導することはごくまれだった。社内のデザイナーがアイデアを出しても、同様の提案が社内のエンジニアから出てくる場合より明らかに、採用に消極的だったのだ。経営層を中心に、長くデザイン軽視の風潮がはびこってきたからである。