OPINION1 求められるのは「自己理解」と「キャリア構築」の観点 不安定な時代のキャリアのとらえ方と支援の在り方とは 下村英雄氏 労働政策研究・研修機構 キャリア支援部門 主任研究員
日本において、「キャリア」や「キャリア支援」は、どう受け止められてきたのだろうか。また、これからの労働者はキャリアをどのようにとらえ、それに対して企業はどのような支援をしていくべきなのか。
キャリア研究の第一人者、労働政策研究・研修機構の下村英雄氏に聞いた。
時代の移り変わりとともにキャリアへの関心が高まる
「日本で『キャリア』が注目されるようになったのは、1990年代に入ってからと言ってよいでしょう。キャリアという言葉自体は70年代から使われており、80年前後には、『キャリア開発プログラム(CDP)』が導入されるようになりました。そのころから労働者の価値観の多様化は進んでいましたが、多くの人がキャリアに関心をもつようになったのは90年代、本格的にその重要性が認識されるようになったのは2000年代になってからです」
そうキャリアの歴史について説明するのは、労働政策研究・研修機構キャリア支援部門の下村英雄主任研究員だ。
キャリアを考える必要性が広く認識されるようになった直接のきっかけは、バブルの崩壊だった。それ以前も、キャリアに関する様々な議論が展開されてはいたが、当時のキャリア論は、「仕事だけでなく余暇も楽しもう」「フリーターのような働き方を含め、いろいろな生き方があっていいじゃないか」といった、いまと比べて、楽天的な主張が多かったという。
それが、バブル崩壊によって一転する。人々は終身雇用を前提とした右肩上がりのキャリアが信じられなくなり、キャリアのとらえ方がシビアになっていった。
企業に大きな影響を与えたのが、1995年に当時の日経連が発表した『新時代の「日本的経営」』だ。人材を「長期蓄積能力活用型」と、必ずしも長期雇用を前提としない「高度専門能力活用型」「雇用柔軟型」の3つに区分し、これらの組み合わせによる「雇用ポートフォリオ」というコンセプトを提唱した。その後も90年代後半から2000年代前半にかけて金融機関などの倒産が相次ぎ、リストラの嵐が吹き荒れたことで、「同じ会社にとどまっていれば安泰」ではないことに皆が気づいた。
「統計的には、昭和と平成で転職率や平均勤続年数に大きな変化はありません。しかし、『長期雇用の下、定年まで勤め上げれば安泰』と思っていたのが、『そんな世のなかではない』のだと、世間の雰囲気や意識が変わりました」(下村氏、以下同)
そうした厳しい経営環境の下で行われた当時の企業のキャリア支援は、中高年社員の転出を促す“肩たたき研修”というとらえ方をされることも多かった。
しかしいまでは、キャリア支援にそのようなイメージはない。企業も労働者も、「自身の働き方について考え、モチベーションを高める機会」、あるいは、「役割や働き方が変わることに対応する機会」として、前向きにとらえている(図1)。
「“肩たたき”的なキャリア支援から変わってきた理由としては、リストラが一段落したという現実的要因が大きいですが、アウトプレースメントにより突然外に出すくらいなら、早い時期からキャリアを考えさせ、事前に準備してもらった方がいいと、企業も個人も身にしみてわかったのだと思います」