第4回 (最終回) 人事に必要なマーケティング発想 島貫智行氏 中央大学大学院 戦略経営研究科 教授
島貫智行氏
「人事戦略や人事施策の構想のためには、それらのベースにあるコンセプトの理解が欠かせません」――。中央大学大学院の島貫智行教授は、そう語る。組織と人材のマネジメントにおける基本的な考え方を理解していれば、自社の人事施策を再点検する際も、先進企業の人事戦略を読み解く際も有益になる。そこで本連載では、今日の人事戦略において重要なコンセプトについて、全4回にわたり島貫教授に寄稿いただく。
最終回となる第4回は、従業員を顧客視点で捉え、満足→体験→価値提案→生涯価値の4概念を軸に、人事施策を平均最適から個別最適へ組み替える着眼と具体手法を解説する。
従業員を顧客と同等に大事にしているか
「人的資本経営」という言葉とともに、「従業員を大切にする」という表現も広がっている。「人材」ではなく「人財」とよぶ企業も少なくない。しかし、その言葉はどこまで実態を伴っているだろうか。自社の従業員が何を期待し、どこに不満を感じているのかを、どれだけ具体的に把握しているだろうか。そして、その期待に対して価値を設計し、提供しているといえるだろうか。
多くの企業は、この問いに明確には答えられないかもしれない。なぜなら顧客に対して行っていることを、従業員には必ずしも同じ水準で行えていないからだ。企業は顧客に対して、ニーズを捉え、価値提案を設計し、顧客体験を磨き続けている。そこには、継続的な関係を築きながら収益につなげるという発想がある。一方で従業員に対しては、制度や施策は整備されていても、それがどのような経験として受け止められているかまでは十分に検証されていないことが多い。
そのため、制度は整っているのに人が離れ、施策は増えているのに納得感が高まらないといった状況が生まれる。これは制度運用の問題というよりも、従業員をどう捉えるかという発想の違いによる。従業員を管理の対象として捉える限り、こうしたズレは解消されにくい。人材マネジメントが機能しているかどうかは、制度の有無ではなく、それが従業員にとってどのような価値として経験されているかによって決まる。
近年では、採用ブランディングやインナーブランディングなど、マーケティングの発想を人事に取り入れる動きも広がっている。しかし大事な点は、個々の手法の導入にとどまらず、従業員を価値提供の対象として捉え直すことである。顧客に対して行っているように、従業員についてもニーズを理解し、提供する価値を定義し、体験を設計し、その結果を確かめていくという視点が求められる。
今回は、こうした視点に立ち、従業員満足、従業員体験、従業員価値提案、従業員生涯価値という4つのコンセプトを手掛かりに、人材マネジメントの捉え方を整理していく。
❶ 内部顧客として捉える:従業員満足
顧客視点の基本となるコンセプトは、従業員満足である。従業員満足は古い概念と見られがちだが、その本質は顧客視点の原点にある。ハーバード・ビジネススクールのヘスケット教授が提唱したサービス・プロフィット・チェーンというフレームワークでは、従業員サービスの質を高めて従業員満足(Employee Satisfaction)を向上させることで、従業員の定着率や生産性の向上を図るとされる。それによって、従業員から顧客に提供されるサービスの質が高まり、顧客満足(Customer Satisfaction)や顧客ロイヤルティーが向上し、最終的には購買量の増加を通じて企業の売り上げや利益率といった業績の向上につながる(図1)。

このフレームワークから得られる重要な示唆は3つある。第1は、従業員を内部顧客として捉えることである。消費者や取引先を企業外の顧客、従業員を企業内の顧客と見なす。このとき従業員は、企業業績を高める手段ではなく、外部顧客と同様に、企業が価値提供を通じて満足度を高める対象として位置づけられる。
第2は、人材マネジメントを内部顧客へのサービスと捉えることである。仕事の割当、教育訓練、評価や報酬管理、職場環境の整備といった取り組みは、パフォーマンスを直接的に高める管理手法というよりも、内部顧客の満足度を高めるための顧客サービスとして再定義される。
第3は、人材マネジメントの成否は従業員自身の評価によって測られるべきであるという点である。顧客である従業員自身の評価が、人材マネジメントの有効性を示す指標であり、その代表的なものが従業員満足である。
サービス・プロフィット・チェーンでは、従業員をコントロールするのではなく、満足度を高めることで、結果として顧客満足につながる行動を引き出していく。従業員満足を起点に顧客満足が高まり、企業業績が向上するという好循環が想定されている。「丸亀製麺」などで知られる株式会社トリドールホールディングスでは、「従業員の幸福感」を起点に、「顧客の感動」を生み出し、それが「商売繁盛」へとつながるサイクルを経営モデルとして明確に位置づけている。さらに、従業員の幸福度、顧客の感動体験、店舗業績の関係をデータ分析によって可視化し、この好循環の再現性を高めようとしている。
顧客視点の人材マネジメントの出発点は、内部顧客である従業員の心理に着目することである。そして、その心理を起点として顧客満足や企業業績へとつなげていく。従業員満足に目を向けない限り、人材マネジメントは顧客視点に立ったものとはいえない。

