第36回 組織変革を社会変革のドライバーに そこにある輝きを掘り起こす レガシー企業のポジティブシンカー 松田直也氏 九州電力 人材活性化本部 人材・組織変革グループ長(QX事務局)/事業構想大学院大学 客員教授
「九州電力」という伝統的企業で、次々と変革の打ち手を講じる猛者がいる。
人材活性化本部の松田直也氏である。
経営企画室で部門横断プロジェクトを手掛けてきた同氏が今、着手するのは組織と学びの仕組みの変革だ。
人の可能性を信じて止まない松田氏の、キャリアの軌跡を追った。
[取材・文]たなべやすこ [写真]=諸石 信
世界を変えたいエリートが選んだレガシー企業
九州の玄関口・博多から地下鉄に揺られること15分。中心地から少し離れたところに、九州電力の社員研修所はある。施設には送電の鉄塔や、発電、変電のシミュレーターなどがあり現場さながらの技術訓練ができるほか、宿泊施設も備え、まるで全寮制の学校のような趣を放つ。
「こんにちはー」と玄関まで出迎えてくれたのは、同社の人材教育を担う松田直也氏だ。物腰が柔らかく初対面の取材班にも自然体を貫く。どこか人懐っこさも感じられ、優しい笑顔が印象的だ。
九州電力ではQX(Qden Transformation)プロジェクトと称し、全社組織変革に挑む。縦割り、上意下達の仕組みから、個々の「こうしたい」「ああしたい」を起点に人の成長と組織の成長を図る。旧来のエネルギー事業にとどまらない切り口で、2030年には一人あたりが創出する付加価値を1.5倍にしようと目論む。松田氏は、その立役者の1人でもあった。
「京都議定書のような、地球環境の国際的枠組みを築きたい」、そうした思いで東京大学大学院在学中は環境学を専攻した。大きく影響を受けたのは、アマルティア・センの論考だ。貧困のメカニズムの解明によりノーベル経済学賞を受けた、インドの経済学者である。また、時間を見つけてはキャンパスを飛び出し、世界各国を回った。
「当時テロの起きたアイルランド国境や、空爆後のユーゴスラビア、ドイツで参加したワークショップでは、ナチス政権下で先祖が迫害されたユダヤ人とも交流しました。バングラデシュで井戸を掘ったのも、いい思い出です」
将来は国際機関に入職し、環境問題や経済の不均衡の解消に貢献するのだと信じて疑わなかった。だが国際機関のインターンシップに参加して、考えが変わった。
「率直にいえば、思っていたのと違ったんです。国際機関の職員は、各国から派遣された人たち。働く彼らを見ながら、国益を守るうえでの調整役に映ったのです。それなら民間企業の方が、社会に向けてもっとダイレクトな変化をもたらせるのかもと思うようになりました」
就職活動中には、ゲイリー・ハメルとC・K・プラハラードが提唱するコア・コンピタンス経営の虜になる。他社がまねできない特異性に目を向け、組織全体が未来視点で知性を発揮し情熱を傾けることの重要性に深く共感した。そのうえで、会社選びの軸に置いたのは、エネルギー領域を手掛けていることと、自身の可能性を最大化できる環境だった。
華々しい経歴の持ち主だ。就職氷河期とはいえ、引く手あまたである。外資系コンサルから就職人気ランキングトップのエレクトロニクス企業、電力インフラ開発を手掛ける大手など、いくつもの内定を獲得した。にもかかわらず、最終的に選んだのは地方の電力会社だった。
「確かに他の会社も魅力的でした。でも決め手となったのはインパクトです。九電は内定を頂いた会社のなかで、もっとも保守的なレガシー企業でしたが、もっとも誠実さを感じた企業。自分が関わることで、世の中にもたらす変化がもっとも大きいのはここだと思ったんです。伸びしろだらけだなと」
周りには、相当な変わり者に映ったかもしれない。でも会社は松田氏を温かく迎え入れた。そうした社員の“人の好さ”も、入社の決め手となったという。
全社プロジェクトを通じ確信した人の可能性
入社2年目にジョブチャレンジ制度を使い、経営企画室に異動する。社長直轄の総合戦略グループに配属となり、直属の上司から経営者視点を叩きこまれた。
タイミングも重なった。当時九電グループでは、IT化に伴う産業構造や生活の変化に電力小売自由化、地球温暖化対策などを背景に、経営方針の見直しを図ることになったのだ。組織の在り方を根幹から変える大きなチャンスに、松田氏も力が入った。
「新人に毛が生えた程度なので、もともと全社マーケティングの一部分を任されたくらいだった。でもそれでは自分自身の思いが収まらない(笑)。『マーケティングじゃなくてブランディングです』、『会社の中と外で違う内容を使い分けるなんてダメです』って、経営にも強気に主張したものです」