ART 日本美術家列伝 室町〜江戸時代前期篇 禅僧としての功績のみならず、「多作な描き手」として再評価される白隠慧鶴 矢島 新氏 跡見学園女子大学 教授
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駿河の禅僧白隠は、臨済宗中興の祖と称えられる英傑である。白隠は貞享2年12月25日(西暦では1686年1月19日)に東海道の宿場・原(現沼津市)に生まれ、厳しい修行ののちに故郷原の松蔭寺の住職となった。寺格の低かった松蔭寺は貧しかったが、白隠はその徳を慕って全国から参集した多くの弟子を育て、近隣の人々への布教に尽力している。現在の臨済宗の僧侶はすべて白隠の弟子筋にあたるというが、禅僧としての功績は同時代に並ぶ者がない。
歴史人名辞典等も禅僧としての事績の記述を優先させるものが多いが、一方で白隠は、生涯に一万点にも及ぶ書画を制作したと推定される多作な描き手でもあった。ただし一般の絵師のようにそれで生計を立てたのではなく、布教の手段として描き、人々に分かち与えたのである。いわば素人の絵であったゆえに従来美術史に取り上げられることは少なかったのだが、近年その評価は飛躍的に高まって、絵描きとしての認知度がむしろ上回っているようにさえ見える。