Part1 女性役員に聞く!③ “未来に道筋をつける”という共通項 技術も経営も 男女の違いは意識しません
IHIで女性初の執行役員を務める水本伸子氏。
これまでのキャリアを振り返る中で、
女性であることを不利に感じたことはほとんどなかったという。
事業分野は重工業、女性は数える程度(入社当時)という職場環境で、どのような軌跡をたどってきたのだろう。
①入社時から年上の技術者と渡り合う 実力勝負の研究者時代
―水本さんは、もともとは技術者でいらっしゃると伺いました。
水本
学生の頃の専攻を活かして入社し、ずっと横浜の研究所に勤務していました。お客様のプラントの計画段階での環境アセスメントが主な仕事でした。入社当初から専門家の立場で実験チームをまとめ、実験の計画を立てて、年上の実験員に指示を出す立場でしたね。実験や開発の方向性が違えば、上司であろうと「それは違います」と意見を戦わせました。
入社して12年ほどで課長になり、管理業務が増えましたが、目まぐるしく環境や立場が変わったわけではなかったんですよね。
―周りは男性ばかりですよね。
水本
技術職なので、純粋に実力で勝負できる環境だったのと、他に女性がいなかったことが逆に幸いしてか、職場で女性であることを意識することはなかったです。男性の同期と比べられることも、仕事に差をつけられることもなかったですから。
一方で、学生時代の友達と会うと、研究所勤務でも(女性だから)お茶汲みをする・しないで揉めたといった話を聞くこともありましたから、やっぱり世間一般には“男女の壁”みたいなものはあったのだと思います。
②研究所から本社勤務へ “道筋をつける”という共通項―キャリアのターニングポイントはいつになりますか。
水本
本社を大手町から豊洲に移転し、同時に業務改革を進めるプロジェクトのリーダーを務めるにあたり、2004年に部長となったのが、ひとつの転機でした。
大卒社員の8割以上が技術者ですし、本社にもエンジニアが多く在籍しています。ペーパーレス化や部署の垣根を越えた組織づくりを実現させるには、従来の慣習に縛られない技術者をリーダーにする必要があったのでしょう。これまでにない挑戦でもあり、新しい風を、ということで、私に声が掛かったのではないかと思います。
―研究所を離れるのは、嫌ではなかったですか。
水本
移転の時期は決まっていて(2006年)、すぐにコンセプトからワークスペースの設計、具体的な業務改善の施策を決める必要があり、自分の感情に向き合う暇もありませんでした。とはいえ、プロジェクトは1年半と、期間限定だったので、また横浜に戻るつもりでいたんです。