寺田佳子のまなまな 第13回 日本橋「いづもや」三代目店主 岩本公宏さんに聞く 「老舗」の挑戦
今回のお相手は、日本橋「いづもや」の店主・岩本公宏さん。
老舗鰻店の三代目として生まれ、大学卒業後は修業を積み、やがて「デパ地下への新規出店」という大きなチャンスを手にします。
鰻の魅力と自分の感覚を信じ、新たな挑戦を続けてきた岩本さん。
歴史と伝統のある老舗ならではの“学び方”に迫ります。
“スポーツ”と“鰻”の共通点
今回のまなまなは、東京・日本橋の老舗鰻店が舞台。創業70 年を迎える鰻割烹「いづもや」の三代目がお相手だ。鰻と聞いただけで、鼻をくすぐるあの香ばしい匂いと、五臓六腑に染みわたる滋味を思い出し、思わず頬が緩んでしまう。その味を守る老舗の三代目ともなれば、伝統を受け継ぐことへの迷いや逡巡があったに違いないと思うのだが、「家業を継ぐことに疑問を抱いたことはなかったですね」と、真っ白な割烹着と同じくらいきっぱり爽やかに微笑む岩本さん。
聞けば、幼稚園の時から父に連れられて築地の買い出しについて行くのが楽しみで、「市場は魚がたくさんいて、私には水族館よりずっと面白い場所。それに、築地の朝ご飯がおいしくて、それもまた楽しみだったんです(笑)」
こうして幼い時から魚を見る目を育み、おいしいものを見分ける舌を養ったのだから、これは一種の英才教育に違いない。やがて小学6年生になる頃には、「いっぱしに白衣を着て、お使いをしていました」
麻雀で勝つと鰻を注文する、なんてバブル期ならではの豪勢な習慣(!)もあって、雀荘に鰻重を届ける経験もしたという。
中学時代には東京都駅伝大会で優勝した。高校、大学でもゴルフ、サッカー、テニスをはじめさまざまなスポーツに挑戦しつつ、朝は築地へ行き、昼は店で働き、夜は大学で授業を受けるという生活を4年間続けた。調理師免許も在学中に取った。その中でしっかり身につけたのは、体力と「努力すれば必ず報われる」という信念だった。
やがて卒論も書き上げ、大学卒業を間近に控える頃、「スポーツも鰻の仕事も同じ。練習を積むほどうまくなる。家業を継ぐには、いい鰻屋で修業しなければ」と思い立つ。
ここぞという時を逃がさない
そこで向かったのが、横浜は関内にある明治5年創業の老舗鰻店、「割烹蒲焼わかな」だった。
「大学時代、バイト代を貯めては評判の鰻屋を食べ歩いたんです。『わかな』に行った時、修業するならここしかないと思いました」
鰻はおいしいし、店も大きい。お客様も多くて品数も出る。こういう店なら、いろんな仕事ができ、短期間に多くのことを学べるに違いない。自分の目と舌を駆使した調査の結果、挑戦すべきと判断したのだ。