人材教育最前線 プロフェッショナル編 マイルストーンがやる気と安心を生む 組織を元気にする〝仕組み〞を考案
電子機器には欠かせない組込みシステムを手掛けるイーソル。
今では入社直後から中堅、管理職までの階層別研修が体系化され、人材育成の仕組みが確立された同社だが、数年前までは育成は現場に一任され、社員の意欲やチームの結束力にバラつきがあったという。
「どの社員にとっても、会社で過ごす時間が、豊かな人生の一部であってほしい」という強い思いを持ち、ほぼゼロの状態から人が育つ風土を築き上げた澤田氏。彼女は組織改革において、「継続の仕組み」を最重要視する。
その理由とは。
手に職をつけたい
1990 年代後半から2000 年代初頭、「ITバブル」と呼ばれた時期を覚えているだろうか。インターネットの普及とWindows95のリリースをきっかけに、職場や家庭にパソコンが一気に普及した。
ITバブルは採用市場にも大きな変化をもたらした。システム会社の多くが、今後を見据えてシステムエンジニア(SE)の大量採用を行うようになり、理系出身者だけでなく、多くの文系出身SEが誕生した。
それは、人工衛星やカーナビ、一般家電に搭載されるプログラム(組込みソフトウエア)製品の開発、製造、販売を行うイーソルでも同じだった。入社は1999 年、現在は人材開発担当課長を務める澤田綾子氏も、大学での専攻は教育心理学である。
「心理カウンセラーや大学院に進む考えもありましたが、それより企業に勤めて、社会経験を積みたかったんです」(澤田氏、以下同)
長引く不況による“就職氷河期”において、状況がどう変化しても働き続けたいという思いは、手に職をつけられるSEという選択を後押しした。そして澤田氏は、40 人余りの同期と共に、社会人生活をスタートさせた。
目の前のことをこなす新人時代
もともと300 人規模の同社では、40人以上もの新人を育成するノウハウも体制も十分とはいえなかった。だが、業界全体の追い風に乗るチャンスは目の前にあった。そこで若者の柔軟な感性を活かそうと「新製品開発プロジェクト」が立ち上げられた。自社の新たな主力商品を生み出すミッションの下、20 人ほどの若手エンジニアを集めた。その中に、新人SE の澤田氏の姿もあった。
「プロジェクトに配属された新人は、若手の先輩エンジニアの指示を受け、プログラムを組んでいきます。新人は仕事を覚え、先輩は教えることで覚えてきた仕事の定着を図っていました」
特に違和感を覚えることもなく、澤田氏は、徐々に仕事を覚えていった。2年目には数人のチームのリーダーになり、複数の新人の面倒を見ることになる。
「若いチームということもあり、サークルやゼミのような雰囲気でした。帰宅が深夜になることもありましたが、皆で同じ目的や目標に向かって頑張ることに、やりがいを感じていましたね」
ただ、社内の人材育成を一手に引き受ける今の立場から振り返ると、当時の育成施策は少々心許ない。
「特に初期の頃は、仕事の全体像や骨格が分からないままプログラムを組んでいました。となると、壁に当たった時は、その都度対症療法を行うばかりで、他とのつながりまで考えられません。自分の仕事や位置づけが見えてきたのは、プロジェクトに参加して数カ月経ってからでした」
それは、当時の同社にとっては珍しいことではなかった。これといった育成手法が確立されていたわけでもなく、OJTに指導担当をつけるかチーム全員で取り組むかは、所属長の判断に任されていた。研修もその時々のトレンドや同社の組織課題に合わせて、単発で行われていた。人材開発の重要性を認識しつつも、目の前の事業に追われて育成は後手に回っていたのである。