OPINION1 作業の場から考える場へ 知的生産性を高める 新“ワークプレイス”の発想
イノベーションにはクリエイティビティが欠かせない。
それを喚起させるには、仕事空間にどのような条件が必要なのだろうか。
長きにわたり日本のオフィスデザインを研究し続ける、東京造形大学副学長の地主廣明氏が、日本のオフィスの現状と課題も含め語る。
“作業する場”だけではない
まず、図1を見てほしい。これは1948年発刊のある雑誌に掲載された、オフィスに求められる機能と必要な設備を示した表である。一番左の列(大分類)にはオフィスで働く人々のアクティビティが挙げられているが、現代に比べ、決定的に足りないものがある。何かお分かりだろうか。
答えは、「考える」、「想像する」などの、ナレッジワーキングに関するアクティビティが一切入っていないことである。当時のオフィスは「作業すること」を前提に考えられてきたからだ。
オフィスデザイン事務所などに冒頭の問いかけをしても、すぐに気づく人はほとんどいないのが実情だ。つまり、多くの日本人はいまだにオフィスを「考える場」ではなく、「作業する場」として捉えているのである。
オフィスが変わらない理由
そもそも、仕事の創造性とオフィスの関係について議論されるようになったのは、日本ではここ20~30年ほどのことである。19世紀末には「オフィスとは情報を収集し、加工して発信する場所」という概念が確立していた米国とは大きな違いだ。
なぜ、日本が米国に比べてこれだけの遅れをとったのか。次に挙げる理由が複合的に影響したためだと、私は考える。
①文字文化の違い
米国では、19世紀の終わり頃からタイプライターが普及し始めた。かたや日本では、戦前から和文タイプライターは存在したものの、1980年代にワープロが一般化されるまで、ビジネス文書のほとんどは手書きが当たり前だった。
両者の最大の違いは、「文字の標準化」にある。機械で文字を記すことは、書類作成における属人化の排除と作業の効率化をもたらす。
対する手書きの作業は属人化が著しかった。例えば議事録作成では、会議内容を速記する人とは別に、それを清書する人が存在した。少し大きな会議になれば、議事録の書きぶりや体裁を揃えるために毎回同じ人を清書係にしたものである。また、手書きによる書類作成に、どれだけの時間と手間がかかったかは、想像に難くないだろう。