人材教育最前線 プロフェッショナル編 真の採用・育成を貫く ポテンシャルと魅力を引き出す
「人事や採用に携わるスタッフで私のような経歴を持った人は一般的に珍しいでしょう」。サトーホールディングス人財開発チーム主任の清水孝洋氏は、そう語りながらも「それがサトーの強みであり良さだ」と断言する。同社には“人の採用は玉石混交で”という経営ルールがある。全員が常にテストで100点を取るような人財である必要はなく、さまざまな人財が混ざり合っているからこそ、変化に対応できる柔軟な体質を維持することができるという。清水氏が歩んできた道と人事にかける想いは、まさにそんな同社の理念を象徴するものだった。
“形式にこだわらない”社風と理念に共感
清水孝洋氏がサトー(当時)に入社したのは2007年12月。きっかけは、先にサトーに転職していた前職場の上司からの誘いだった。
当時の清水氏は前職場の管理部で採用や育成のコアメンバーだった。しかも採用したばかりの部下とともに働いていたことから、一度はその誘いを断った。しかし、元上司の度重なる説得に、「受けるだけ」のつもりで面接に臨んだ。そこで、“形式にこだわらない”“他と違うことをやる”“大企業病になるな”という理念に惹かれたという。「もともと反骨精神のようなものがあって、大きな体制の中では自分の好きなようにはできないだろうと思っていました。勝手なイメージから“大企業嫌い”だったのです。そこに面接で、『大企業病を警戒しろ』という理念を突きつけられ、もう断る理由がなくなりました。もともと信頼していた上司の誘いでしたし、全てを部下に任せ、有給休暇も消化せずサトーに転職しました」
二足の草鞋が導いた人材育成への道
実は清水氏のキャリアスタートは、現在とは全く畑違いの音楽業界だった。フリーのレコーディングエンジニアとして働いていたが、不況の影響で仕事は減少。収入が不安定になった。そこで、副業として派遣会社を通じ、インターネットサービスプロバイダーのテクニカルサポート、いわゆるコールセンターで働き始めた。
「コールセンターはスタッフの出入りが激しく、新人だったつもりがあっという間に中堅になり、新人研修用の資料をつくる立場になりました。さらに、10人ほどのスタッフを取りまとめるスーパーバイザーに就くと、単なる“後輩指導”から“教育”へとかかわるようになりました」
こうして2年間、コールセンター業務とレコーディングエンジニアの二足の草鞋を履き続けていた清水氏。だが、コールセンターを運営していた会社に海外資本が入ったことをきっかけに体制が大きく変わり、コールセンターも移転を繰り返した。
「 最終的に九州へと移転することになり、当時のマネジャーから“行ってくれないか”といわれました。私の実家も九州で移転先がとても近かったのです。しかし、音楽の仕事を諦めることができず、結局コールセンターの仕事を辞めることにしました」
東京にとどまり音楽の仕事を続けていると、派遣会社から再び、別のサービスプロバイダーでの仕事を紹介された。そこで出会ったのが、清水氏をサトーに引き抜いた上司である。
入社後、しばらくすると以前の経験をもとに、コールセンタースタッフの教育研修を任されることになった。だが研修場所として与えられたのは、本社の管理部の隣にあった小さなミーティングスペース。簡単な仕切りがあるだけで、研修の様子は全て筒抜けだったという。
「こんな教え方で怒られないかなと思いながらも、受講生に変わった質問を出題したりしました。