自ら考える頭をつくる世界基準の言語技術
世界の共通基盤言語技術とは
「国際競争に勝てる自律型人材の育成を」――現在多くの企業が人材育成の目標として掲げている言葉だろう。大学が「レジャーランド化」してしまい、大学生がレポートを書けず、議論できなくなっているのだから、そこから入社してくる若手の考える力や書く力が低いのも当然だ。企業での英語公用化を推進する以前に、より根底から現状の問題を解決するには、私は英語ではなく母語教育が重要だと考えている。
それも、単なる母語教育ではない。「言語技術(language arts)」を幼少時から習得させることが最も重要である。言語技術とは、“自ら考える頭をつくるための教育”である。具体的には、体系的なカリキュラムを用いて、聞く、読む、書く、考えるためのスキルを指導する。そうすることでものの見方や考え方を身につけさせ、他者が理解しやすいように表現するための方法論を身につけさせる。ここで、言語技術の方法論について説明しながら、ビジネスパーソンにとっての言語技術の重要性と、その習得方法を述べたい。
レトリックから始まる世界の母語教育
言語技術は、欧米を中心とした諸外国で指導されている。そのため、言語技術はフレームワークとして機能し、多くの国々がものの考え方や読書技術、表現技術を共有している。
言語技術を知ったのは、旧西ドイツでの経験がきっかけである。私は、中学から高校にかけての4年間、父の仕事の都合で西ドイツの外国人受入校に通った。そこで自分が授業についていけないことに非常にショックを受けた。
西ドイツの授業は、科目を問わず、教科書や資料を読んで議論し、考えを文章にまとめることがベース。日本にいた頃私は、作文が得意だと自負していた。ところが、私が得意だったのは「感想文」。ドイツ人の教師からは「印象を述べるのではなく論証しなさい」と指摘されたが、論証とは何かも、どうすればよいのかもわからず、授業で求められていることが理解できなかった。
学校には北中米や欧州、アラブ、アジア、アフリカなど、各国から生徒が集まっていたが、出身国で言語技術教育を受けてきた友人たちは、授業で発言し、議論にも加わることができた。ドイツ語のレベルは私とそう変わらないのに、である。言語技術という共通基盤を持っていると、言語レベルが低くても方法論を共有しているため、議論に参加できるのだ。
ビジネスの文脈でも、言語技術は即戦力となる。このことは、大学を卒業後、商社に勤務して、東ドイツの公団と自社との交渉の議事録を翻訳する仕事に就いた時に痛感した。その際、議事録の書き方や交渉の仕方はすでに西ドイツで習っていたと気づいた。また、日本の大手商社の社員が、東ドイツ人との交渉についていけないという事実にも直面した。私が西ドイツ時代に学んだように、国際社会では、交渉の際には証拠に基づいて相手と議論を重ねていくことが基本だが、日本人はそれができていなかったのである。
そこで私は、西ドイツに限らず、世界各国に共通する言語教育のフレームワークが存在するのだという結論に至った。
各国で行われる母語教育は、どのように発想し、整理し、提示するかというレトリックから出発している。これが「言語技術」である。日本の国語教育は、その共通基盤から遠く隔たれている。それがビジネスや学問の世界において無視できない影響力を持つのだ。