Special Interview 日本人よ、世界を捉える言葉を取り戻せ
石原慎太郎氏、猪瀬直樹氏と、著名な作家陣が知事と副知事を務める東京都は、昨今の活字離れや言語力の低下を危機的状況と認識し、2010年4月から「『言葉の力』再生プロジェクト」を展開している。そこでその背景にある問題意識を、近現代史と歴史認識を自身のライフテーマとする猪瀬氏に聞いた。
歴史的な時間軸と言語力の関係
人から「○○は好き?」と聞かれて「ビミョー」と答えるような、最近の若い人の会話について思うところはいろいろあるが、実は私には、活字離れや言語力の低下に関して、もう少し深いところでずっと考えていることがある。それは歴史認識の問題である。今の日本がこのような状況になっているのは、日本人が歴史的時間軸を持っていないことが大きな原因ではないかと思うのだ。
ヨーロッパには、キリストの磔刑を啓示としたことで生まれた1本の時間軸があり、「シェイクスピアは16世紀に生き、自分の人生は21世紀にあるんだ」というふうに、歴史の中での自分の位置付けが明確に捉えられる。
一方、日本の場合、坂本龍馬や直江兼続の大河ドラマを見て、「あ、これは何年頃の話だな」ということはなんとなくわかっているし、学校の教科書で「江戸時代は士農工商」「明治維新によって立憲君主制へ」といったことは習う。しかし、その史実と自分自身との関係を捉える時間軸は、おそらく戦後教育においてすべて失われてしまったのではないか、という気がしている。
戦前の日本は、古事記を通じて神話の教育を行っていた。イザナギとイザナミの「国生み」から始まり、稲作の元になっていくようなエピソードを経て“今日の我々がいる”ということを神話から感じ取ったり、“その流れを継いでいる天皇の存在によって、日本はまとまっているんだなぁ”という漠然とした意識を持ったり……。歴史の時間軸と自分との関係も含め、当時の日本人はいろんなことを考えていたことだろう。
敗戦で“全体の物語”を失った日本人
ところが、昭和20年に日本は戦争に負け、国際軍事裁判で裁かれた。多くの国民が「戦争のせいで同胞が300万人も死んでしまったし、原爆も落とされた。なんてバカなことをしたのだろう」と悔いると同時に、それまでの日本の歴史をすべて否定してしまった。それにより、我々は“全体の中で自分を語る物語”を喪失したということだ。
その後、食うや食わずの20年代、映画『ALWAYS三丁目の夕日』で描かれたような牧歌的な30年代を経て、日本は高度経済成長時代に突入。モノを消費するという行為には、その1つひとつに小さな物語がついてまわるので、その充足感みたいなもので、“全体の物語”のない世界でも特に問題なくやってこられた。