人材教育最前線 プロフェッショナル編 衆知を結集し、成果を喜び合う組織をつくる
ビジネスを取り巻く経営環境の変化は加速するばかりだ。1989年当時13行を数えた都市銀行は、現在3つのメガバンクへと収斂された。財閥の枠を超えての合併と話題になった三井住友銀行も、来年4月には合併から10周年を迎える。この間、金融自由化を背景に、個人、法人、企業金融、市場営業、国際、投資銀行と銀行の部門は細分化された。専門化した金融商品の提案や多様化する顧客ニーズへの対応ができる人材をいかにして育てるか。今年4月に三井住友銀行人事部研修所所長に就任した金子良平氏に、人材育成への想いと今後の展望について伺った。
衆知を結集しなければ好業績は実現できない
今年4月、三井住友銀行の人事部研修所所長に金子良平氏が就任した。金子氏は、1983年に入行して以来、店舗開発・統廃合の仕事に携わる他、個人顧客向けの業務に取り組むなど、常に現場の第一線で活躍してきた人物だ。それが一転して研修所所長就任である。研修所への異動を命じられた時の正直な気持ちを次のように振り返った。
「私もそうでしたが、50代を目前にすると、自分のキャリアパスをそれまでの延長線上で考えがちです。人事部や教育の仕事の経験がない私に、研修所を任せるのはリスクを伴うはずです。“すごい会社だな”と驚くと同時に、ありがたいとも思いました。そして会社からの申し出に“よし、乗っかってやろう”と決心しました」
もっとも、金子氏には現場の第一線で働いていた時から人材育成について強い思い入れがあった。入行以来、金融自由化に伴う新事業に携わってきた金子氏は、「それまでの経験だけではこなすことができないのが新事業。そこで組織として高いパフォーマンスを出すためには、チーム全員の衆知の結集が不可欠」ということを幾度となく痛感してきた。新しいことにチャレンジするには、経験の多寡にこだわらず、チームメンバーそれぞれが成長し、力を出さなければ良い仕事はできないのだ。もちろん金子氏もリーダーとして部下の成長に心血を注いできた。
研修所の役割は、銀行全体のパフォーマンスを向上させるために教育体制を整備することでもある。突然の異動に驚いたものの、やりがいを感じたと金子氏は話した。
わからないことは虚心坦懐に聞く
入行から3年後の1986年。日本が好況に沸く頃、金子氏は東京の業務企画部へ異動。個人預金の動向予測などをまとめる仕事に忙殺されながらも、充実した毎日を送る。さらに翌年には、首都圏の店舗網を整備するために創設されたばかりの店舗開発部に異動した。
「1987年から1990年頃までは、景気の拡大とともに出店が加速した時期でした。ところがバブルが崩壊してからは一変して閉店が相次ぎ、自分が出店を手がけた店舗を、自らの手で閉店しなければならないという辛い思いもしました」
そして、金融改革がついに着手される。銀行業務における「国境」「業態」「業種」の障壁を取り除くいわゆる“金融ビッグバン”だ。故・橋本龍太郎元首相の号令で始まった金融改革は、1993年頃から広がり、銀行、証券、保険、信託などの金融機関が他業態の分野に参入した。
「自由化によって銀行が取り扱う商品が多様化されていくと、マーケティングが必要になってきました。店舗出店やATMネットワークの整備などの工夫が求められたのです。さらに自由化が進むと、銀行間の競争は激化。銀行に対する顧客の目も厳しくなり、金融サービスの質が問われ始めた時期でもありました」