巻頭インタビュー 私の人材教育論 顧客志向とチャレンジ精神変化をいとわないDNAが次の100年へ道筋をつける
日東電工は、フィルムやシートに付加価値をつけ、液晶用光学フィルムといったエレクトロニクス製品から、両面接着テープなどの一般工業製品、自動車や医療、水処理などの幅広い分野での製品を開発し、世界的な企業として業績を伸ばしてきた。同社の成長を支えたのは、「常にお客様に満足を与え続ける」「未知の分野に挑戦する」「変化をいとわない」といった“顧客志向に基づく挑戦”を育む組織風土だ。2018年に創業100周年を迎える同社は、このDNAを守り伝えることで、成長し続ける企業をめざす。
異質で未経験の仕事が人を飛躍させる
── 柳楽社長は、工学部出身ながら、研究職ではなく、営業畑を歩いてこられたそうですね。
柳楽
営業に配属になったのは、自分の希望でもありました。入社前、研究職、営業職のどちらにも興味があったので、両方希望を出したら、営業に配属されたのです。ただ、大学の研究室の先生からは、「税金を使って勉強させてもらった者を、“営業なんか”に出すつもりはなかった!」と、ひどく叱られましたけどね(笑)。
最初に配属された電気絶縁材料の事業は、1918年の日東電工(当時は日東電気工業)創業時からあった部署で、お客様との付き合いも古く、良好な関係がすでに確立されていました。ここで私は“組織対組織”の仕事の仕方を学びました。出来上がっている関係に入っていくので、かえって自分の存在感を出すのが難しかったものです。
── その後、畑違いのオプティカル材事業へ行かれたのですね。
柳楽
電気絶縁材料の部署で16年営業を経験した後、2年半の電子材料関連のマーケティングを経て、1989年にオプティカル材事業のユニット長になりました。
それ以前、当社では工場と営業は別々の組織だったのですが、マトリックス組織にし、16の事業部ごとのユニットに組織構成を変えました。その中の1つの責任者を任されたのです。
それまで経験したことといえば、営業がほとんどで、マーケティングも2年半程度だけですから、財務や技術、製造の知識もありませんでした。しかも、未経験の部門なので製品知識もなかった。加えて、この新しい組織体制下ではマネジメントの仕方も変わる。ずいぶん乱暴なことをする会社だなとは思いましたが(笑)、その時のユニット長全員が同じ立場でしたから、「自分だけが大変だ」とは思っていなかったですね。
とはいえ、わからないことばかりでは仕事になりませんから、とにかく何でも聞いて回りました。開発、製造、営業の全体を知っている人はいないものの、各分野のスペシャリストはいましたから、技術のことは技術の詳しい人に、財務のことは財務のわかる人に、という具合に、知識のある人にいろいろと教えてもらいながら、何とかやっていました。
とにかく一歩踏み出し成功も失敗も経験せよ
── そうした“未知への挑戦”の経験をお持ちだからでしょうか、柳楽社長は、「まず一歩踏み出せ」ということを社内外でよくいわれていると伺いました。
柳楽
新しいことに取り組むと視野が広がりますし、やってみて初めてわかることもたくさんあります。
── ですが、その一歩を踏み出すには、失敗もつきものです。
柳楽
もちろんそうです。私自身、営業時代、何でもやってみよう、どこへでも行ってみようと、結構自由にやっていましたから、恥ずかしい思いもしましたよ。
いろいろ工夫してお客様に働きかけ、ようやく出入りが許されるようになったら、調子に乗って“部外者禁止”のところにまで入ってしまい、怒られたという経験もあります。しかし、その失敗があったからこそ、踏み込んでいいところ、いけないところがわかり、仕事の進め方や処世術のようなものも覚えたのです。
一歩を踏み出した後、もう一歩進んでいいかといった微妙な判断は、実践を積んで初めてできるようになります。しかし最近は、与えられた課題に対し、あらかじめ決まった答えがあると思っている社員が結構いるようです。それは、“ハウツー本”に慣れてしまっているからでしょう。