連載 人材教育最前線 プロフェッショナル編 想定外のところに“ 本当の成長”が待っている
10年後の三菱地所グループの理想型、強固なバリューチェーンに裏打ちされた投資開発事業におけるNo.1企業をめざし、中期経営計画「BREAKTHROUGH 2020」を策定した三菱地所。事業戦略実現に向けて、全社的なグローバル化の推進、環境への積極的な取り組み、経営インフラの強化、そして人材育成や活力のある職場づくりに取り組んでいる。そうした同社の人づくりを担うのが人事部副長の後藤泰隆氏だ。都市の未来を創造する組織をつくるために人事部の果たすべき役割は少なくないと話す後藤泰隆氏に、人材育成について伺った。
仲間と一緒に行動し結果を出すことの大切さ
2007年に人事部へ異動し、採用と人材育成を担当することになった人事部副長の後藤泰隆氏。今でこそコーポレートスタッフの仕事にやりがいを感じているというが、三菱地所に入社したのは、もちろん、都市開発の仕事がしたかったからである。
兄と2段ベッドで育ったせいか個室に憧れ、子どもの頃から不動産広告の住宅の見取り図を見ながら、理想の我が家を思い描くのが大好きだったという後藤少年は、工学部で都市工学を学ぶために岡山市から上京する。1987年だった。バブル経済に沸く東京の街の力に、まさに驚愕したと、後藤氏は笑った。
街は面白い。街をつくる仕事がしたい。公務員や銀行、シンクタンク、ゼネコンと、自分の夢を叶える仕事に就きたいと、自分なりに調べたと後藤氏はいう。そして、不動産会社で実際の街づくりに携わる仕事が最もやりがいがあると思い入社を決めたのが、三菱地所だった。
1991年、入社後に配属されたのは、念願の都市開発部。「憧れの仕事に就けて、本当に嬉しかったですね。しかし、その思いはすぐに消えてしまいました。大規模な不動産開発の仕事をするには、あまりにも自分は無力であると思い知らされたからです。入社後しばらくは、自分は給料分の成果を出せていないと、忸怩たる思いでした」「丸の内再構築」第1号、丸ビルの建て替えが発表されたのは1995年。この直後、後藤氏は「丸の内再構築」の担当に加わった。「丸の内再構築」といっても、建て替えが決まっていたのは丸ビルだけ。そのため、街づくりに関して社外に具体的に発表できることは少なく、丸の内のオフィス街がどのようになるのか、そのイメージを伝えることは難しかった。
今でこそ、華やかなイルミネーションに彩られ、ビジネスだけでなく、ショッピングやグルメ、文化の発信地となった丸の内だが、丸ビルがオープンする前は「朝、丸の内へ向かう人の群れが夕方になると東京駅へ吸い込まれる」オフィス街。汐留や品川などに最新設備を持ったオフィスビルが登場し、新たなビジネス街が注目されるようになると、丸の内から多くの企業が離れていった。「1997年、経済紙に『丸の内のたそがれ』という記事が掲載されました。内容は、「日本経済の中心だった丸の内だが、今や凋落の一方。三菱系の多くも品川に拠点を移している今、三菱地所はどうするのか……」というものでした。悔しかったですね。私にしてみれば一方的な記事で、我々のビジョンなど、一行も触れられていない。とはいえ、丸ビル完成までにはまだ何年もかかる……。そうした歯がゆい思いが募りました」
何か今すぐにでもできないか。実際に実現しない限り、社会からの評価は変わらない。社内の各部署それぞれが、たとえば店舗を呼び、情報発信の拠点をつくりと、さまざまな活動を積極的に行った。それによって人が集まるようになると、雑誌やテレビで取り上げられるようになり、丸の内に対する見方が徐々に変わっていった。「悔しい思い、反論できないという絶望感、そこから這い上がって仲間と一緒に行動し、一つひとつを実現していくことのやりがいと楽しさを感じることができた瞬間でした」仕事の醍醐味を実感できたこの出来事は、後藤氏にとって強烈なターニングポイントとなった。