連載 人材教育最前線 プロフェッショナル編 経験と努力がもたらす“ 胆力”と“自信”
2004年4月、ともに100年の歴史を持つニチメンと日商岩井の合併によって誕生した双日。「New way, Newvalue」のスローガンのもと、国内外を問わず多彩なビジネスを展開している。同社の人事総務部人材育成課長の池本健一氏は、2003年から人事総務部に在籍し、人事制度や研修体系といった会社の基盤整備に携わってきた。多岐にわたる分野でグローバルに事業を展開している総合商社。だからこそ、全社員が一体感を持って同じ目的に向かうための基盤を構築することが重要だと池本氏は語る。「双日らしさ」を醸成するための人材育成の取り組みを伺った。
発展途上の中国出張で鍛えられた“胆力”
採用面接で学生に接する際、「申し訳なくて自身の就活体験はとても聞かせられない」という池本健一氏が、双日の前身であるニチメンに入社したのは1990年。自らを「バブル期大量入社組」と称す池本氏。商社を希望したのは、海外で仕事をしたいという漠然とした思いがあったからで、「どうしても商社、という切実感はあまりなかった」と振り返る。
もっとも、仕事のうえではバブルの恩恵を実感したことはほとんどないと、池本氏は笑う。入社直後、大阪地区の新卒採用担当として、超売り手市場の中で採用活動をしなければならなかったからである。「昨日まで『御社一筋です』といっていた学生が、翌日には『すいません』とあっさり断りにくる。もう人間不信になりそうでした」“商社マン”としての活躍を夢見て入社した池本氏にとって、人事部配属は意外だったが、いずれは営業に異動する道筋が見えていたことで、仕事に対するやる気が削がれることはなかった。「結果的に、人事部に配属されたことは、仕事を進めるうえで多くのメリットがあったように思います。後輩社員にとって、入社時お世話になった先輩社員というのは、自分が思っている以上に大きな存在。困った時に“頼むよ”と声をかけると快く応じてくれますから(笑)。採用がらみで社内の先輩方に協力を要請することも多く、社内人脈が広がったこともありがたかった」
とはいえ、焦りもあった。1992年10月、産業機械部、ベアリング担当と念願の営業現場へ異動したものの、すでに同期には営業として2年半のキャリアがある。この差をどうやって埋めればいいのか……。
しかし、そういった不安に浸る間もなく、異動直後に初めての海外出張を命じられる。右も左もわからない海外への単独出張。これを乗り切ったことが、今の池本氏をつくりあげる“胆力”を鍛えることとなった。「広東省広州市で行われたベアリングの見本市に参加したのです。上海から応援に来てくれた中国人スタッフと2人でブースを出展したのですが、言葉もわからない中でそれこそ苦労の連続でした」
今でこそGDPで日本を抜き世界第2位の経済大国になったといわれる中国だが、当時はまだ発展途上。香港から列車に乗り、広州の駅を降りた時の喧騒は今でも忘れられないと池本氏はいう。
見本市参加の目的は2つ。日本メーカーの製品販促と、中国進出に向けた中国側パートナー探しというものだ。ホワイトボードに手書きで看板を作り、机にカタログを並べるという急ごしらえのブースだったが、それなりの成果は出せたと池本氏。中国側パートナーになりそうな候補もいくつか見出すことができた。
ただ、いずれも条件が折り合わず、1995年に日本メーカーと合弁で設立した会社は、中国側のパートナーは持たず、日本側の独資で浙江省紹興市に設立。1997年、池本氏は同社に営業担当副総経理として赴任する。30歳だった。当時、紹興市には日本人は20人ほどしかおらず、交通機関も未整備。日本の“常識”が通用しない場面も多々あり、池本氏にとっては、それまでの価値観を変える経験ばかりだった。お米を買えば石が混ざっている。街中を一歩出れば道路はガタガタ。「カルチャーショックを受ける一方、自分が当たり前と思っていた常識が実は非常識なのでは、という気持ちも湧いてきました」