KEYWORD2 競争戦略 「儲け話」を語れる経営人材はどう育つのか
経営人材とは、戦略のストーリー、すなわち、儲け話をつくれる人のこと。この人がいなければ企業は立ち行かない。だが、「経営人材を育てることはできない」と楠木氏はいい切る。なぜなら、それはセンスに左右されるから。経営人材は勝手に自ら育つものなのだ。その環境を整えるために人事部にできることは何か。
戦略ストーリーがなければ“商売”は成り立たない
人間が戦略を考える時、それは必ずストーリーになっているはずだ。私の好きな本の1つに井原西鶴の「日本永代蔵」がある。江戸時代初期に書かれて大ヒットした小説で、現代にも通じる商売の本質が描かれている。まだ戦略という日本語がなかった当時、それに相当する言葉として用いられたのは“儲け話”。商売というのは「こうやったらこうなって、そうするとこうなるから、きっと儲かると思うが、どうか」と考えるのが自然である。であれば、ストーリーにならないほうがおかしい。
ところが、現代のビジネスにおける戦略の多くはストーリーになっていない。私は仕事柄、さまざまな企業の方から「こういう戦略でいこうと思っている」と、プレゼンテーションを受ける機会が多い。話を聞いてみると、8~9割の企業で、戦略が“目標の設定”など別のものにすり替わってしまっている。恐らく、その方々は、目標を設定することが戦略だと思っているのだろう。戦略は目標に達するための手段だから、もちろん目標設定は極めて重要。だが、それで終わってしまったら、単なるかけ声でしかない。
戦略の要素はあっても、それがつながっていないというケースも多い。それはあたかも静止画の羅列で、ストーリー仕立ての動画とは決定的に異なる。その手のプレゼンテーションを聞いていると、話としての筋がないので、聞いている私にはどうして儲かるのかさっぱりわからない。
本来はストーリーであるはずの戦略が、そうでなくなっているのはなぜなのか――そうした素朴な疑問から書き始めたのが『ストーリーとしての競争戦略』(東洋経済新報社)という本。そこには“もう少し素直に考えてみようよ”というメッセージを込めたつもりだ。
戦略がストーリーにできない問題の根底にあるのは、分業制度。会社の規模が大きくなり、一つひとつの業務に専門的な知識が必要になっているので、分業せざるを得ないのは無理からぬことだ。だが、そのおかげで全体のつながりを理解できる人がおらずストーリーの動画が静止画になってしまう危険性が高まる。
個人が自分の生活の戦略を考える時、“お金のことは全てプライベートバンカーに、着るものはスタイリストに任せています”といった特殊な人は別にして、普通は全て自分一人で考える。そして、たとえば引っ越し先を決める場合なら、値段だけ、あるいは部屋数だけで決めるようなことはせず、さまざまな要素のつながりを考えるはず。“ここは職場から遠いけれど、静かだから子どもを育てるにはいいだろう。それにここに引っ越すと、こうなってああなって……今よりもう少し幸せになれるだろう。よし、ここに決めた!”となるのが自然な流れだ。
同じように、どんな大企業でも戦略をつくるのは一人の人間であるべきだ。「この戦略って、誰がつくったの?」「3年前に○○さんがつくった筋書きだよ」。戦略とは本来そういうものである。経営企画室や経営戦略部で、みんなが集まって「さぁ、戦略をつくろう」と、取りかかるのは間違いだ。事実、経営企画部門から優れた戦略が出てきたのを、私は一度たりとも見たことがない。それはいたって当たり前の話だ。なぜなら、そういった部署に戦略を出させるのは、八百屋に向かって“新鮮な魚を出してくれ”といっているようなものだから。戦略づくりは、そもそも経営企画部門の任にはない。