巻頭インタビュー 私の人材教育論 京都の文化と歴史を背景に 中長期の視野で 人も技術も関係も育む
エンジン排ガス測定装置分野で80%の世界トップシェアを握る堀場製作所。
そして、同社は海外企業からも、堀場ブランドの傘下に入れてほしいという声が上がるほどのグローバル企業。
そうした世界に通用する魅力の源は、どこにあるのか。「おもしろおかしく」というユニークな社是と、京都の文化の中で培われた目先の利益や流行にとらわれない独自の経営哲学について伺った。
長期的な競争力強化で世界シェアを実現
―― 御社は、自動車の排ガス測定機が世界シェア8割を誇るなど、世界的な分析・計測機器メーカーとして知られています。こうした強さの秘密は、どこにあるとお考えですか?
堀場
当社は、液体を測定するpHメーターを父(堀場雅夫氏・現最高顧問)が開発したのが始まりです。これが爆発的に売れたことから、その利益でガスの測定機を開発し、その後さらに固体の分析に進出した結果、現在は、気体、液体、固体を分析・計測できる独自の技術を持っています。
開発型の企業ですから、開発投資は重要で、当社の場合、景気の良し悪しに関係なく一貫して売り上げの10%程度を費やしています。
開発投資というと製品への投資と思われがちですが、実は、対象は人間です。ただし、開発者として一人前になるためには10年以上かかりますから、その間は教育期間みたいなもので、経営者は、じっと我慢をしなければなりません。しかも、その投資が全て成果につながるわけでもありません。しかし、それを承知のうえで投資しなければ、開発者は育たないのです。
中長期的な視点は、製品の開発においても重要です。その一番いい例が放射線モニターです。東日本大震災の時、当社は、福島県に百数十台の放射線モニターを寄付しました。輸入品や廉価品が氾濫していましたが、当社の製品だけが全部が同じ値を示したそうです。本来、同じ値を示すのが当たり前なのですが、世の中には、「儲かるから参入する」という経営者は多いのです。しかし、見てくれだけ同じにしたところで、基礎技術がなければ競争力はありません。当社の製品は、子どもでも使えるほどシンプルですが、使われている技術はプロ向けと同等で、しかも、製品の説明をする人間も技術に精通した一流の人材です。ですから、説明を受けた人は、流行りでつくられた製品との違いを実感するわけです。
この放射線モニターをつくっていた事業部は、実は数十年間一度も黒字を出したことがない部隊でしたが、創立以来長らく、基本技術として開発し続けていたのです。
中長期的に育むものとして、協力会社との関係もそのひとつです。日本の多くの企業が系列を解体した時、当社は逆に協力会社との関係を強化しました。半導体の需要が低迷し、受注が減った時期に支援し続けただけでなく、経営者の子弟にも若い頃からいろいろ教え、仕事を超えたつながりを深めてきました。そのおかげで、市場が回復した時、協力会社は、当社に優先的に対応してくれ、ライバルより短納期で納入できた結果、シェアも拡大したわけです。
―― 開発にせよ、供給体制にせよ、目先の利益を追うのではなく、長期的な競争力を考え、強化しているのですね。とはいえ、リーマンショック後の景気低迷下では、その方針も揺らいだりはしなかったのですか?
堀場
揺らぎませんでしたね。それは、競争力をつけるには時間がかかるということを経験的に知っているからです。
私は、社長に就任後3年間、減収減益を経験しています。というのも、専務時代から進めていた取り組みを社長になり強化していた同じ時期に奇しくも、成績が落ちたのです。専務時代から通算すれば、5年間結果を出せなかったわけです。今、私が取り組んでいることも成果が出るまでは、5年から10年はかかるでしょう。経営者というのは、常に10年20年先を考えて手を打つことが必要なのです。
成果がすぐに見えないと、市場からは評価されにくいのですが、一方、長期的な事業を展望する姿勢は、企業の信用を高めることにもなります。
当社では、中国の反日デモのさなかに上海の新工場のオープニングセレモニーを行いました。時期が時期だけに、地元の幹部役人は来ないだろうと思っていたら、セレモニーに参加してくれ、しかも、「堀場さん、こちらもきちんと対応するから、安心して頑張ってください」とまでいってくれたのです。これは、我々が現地に根差した事業を行い、現地に必要な技術や仕事を提供していると認められたからでしょう。