人材教育最前線 プロフェッショナル編 常に学び続けることが自らのキャリアを輝かせる
旭化成は9つの事業会社を持つ総合化学メーカー。人財・労務部人財戦略・開発室課長の竹内雅彦氏は、2007年に事業会社の旭化成建材から持株会社へと異動し、グループ共通の研修を担うこととなった。旭化成の事業は多岐にわたり、なおかつグローバルに展開される。その事業を支える人材を育成するための研修の場は、20年以上国内市場だけの建材ビジネスに従事していた自分にとっても、未知の分野を知る学びの場であると竹内氏は語る。経営環境の変化に臆せず、果敢に課題に挑戦し続ける竹内氏の、人材育成に対する想いを伺った。
未知の課題の解決がやりがいのある挑戦
「失敗から学ぶ」という人は多い。旭化成の人財・労務部人財戦略・開発室課長の竹内雅彦氏もそうだった。もっとも、何を学んだかを理解したのは、失敗からずいぶん経ってからだと竹内氏は笑う。
竹内氏が最初に経験した大きな挫折は、33歳の時だった。担当していたハイプリートという商品が撤収することになったのである。ハイプリートは、超高層ビルから戸建住宅まで幅広い分野の建築に採用される新しい建材として1993年に投入された商品だった。
バブル景気崩壊以後、景気低迷の中で新機軸として登場したハイプリートは「嵐の中の船出」と揶揄された。しかし、近畿地区販売担当者に抜擢された30歳の竹内氏にとっては、新しい商品を手がけることは心躍る嬉しい出来事だった。
竹内氏が旭化成建材に入社したのは、1985年。法学部出身でありながら二級建築士の資格を取るなど、建材営業の仕事に夢中で取り組んだ。
新規事業の立ち上げに参加できたという高揚感も手伝って、竹内氏は次々と浮かぶ打ち手を行動に移した。当時は毎日、時間を忘れて仕事をし続けたという。
そうした努力が功を奏して、受注は徐々に増えた。しかし、新製品だったために商品の品質が安定せず、せっかく納品したもののクレームも少なくなかった。課題は次々に襲いかかる。未知の課題を1つひとつ解決することがやりがいであり、面白くて仕方なかったと竹内氏は述懐する。
ところが1996年8月、ハイプリートは撤退することになってしまう。
「東京での会議に呼ばれて、『この事業はもうあかん』といわれたのです。愕然としました」
残務整理をする傍ら、喪失感に打ちのめされ、忸怩たる思いを抱えたまま1年が過ぎた1998年10月、竹内氏は茨城県にある境工場事務課への異動の内示を受けた。
「驚きました。とはいえ自分の状況を変えるには、営業から工場へ、都会から田舎へと、まったく違う環境に身を置くのもいいかもしれないとも思ったんです」
1対1の対話で気づくカウンセリングの必要性
初めて営業以外の仕事に就いた竹内氏は、勤労の仕事と営業はまったく違うと感じた。営業は取り引きによって成立するもの。お互いが納得できなければ契約しなければよい。一方、労務管理は雇用にかかわる人間関係だ。納得できないからとすぐに関係をやめるわけにはいかない。だが、営業で鍛えた「相手の気持ちを忖度する」、「うまく意思疎通する」といったコンピテンシーが勤労の仕事でも通用することに気がついてからは、次第に仕事も面白くなった。
「もっとも、営業で培った対人力しか私には武器がなかった。専門知識も人脈もすべて大阪に置いてきましたから(笑)」
係長として配属された竹内氏だが、労務管理に関する知識は新入社員並み。何をすべきかがわからない。そこで、係内のメンバーを集めて勉強会を実施することにした。
「営業と違い、勤労の仕事は給与や福利厚生など、担当ごとに専門性が異なる。意外とお互いのことを知らないので、メンバー同士が理解し合うことも大切だと提案したのです」