Opinion 1 “教え”の本質は“学び”にあり ――江戸時代に見る教育の原理
企業の中で、先輩から後輩にいかに“教える”か。 また、職場のメンバーが互いに教え合い、学び合うためにはどうすれば良いかが課題となっている。そもそも、“教える”ということの本質は何だろうか。京都大学名誉教授の辻本雅史氏は、江戸時代の手習塾や藩校などで行われていたのは、「教え込む」のではなく、「滲み込ませる」教育であったと述べる。 江戸の学びについて考えることで、「教える―学ぶ」という関係性が多様に変化する企業の人材育成のヒントを探りたい。
「教え込み型」学校教育と企業における教育の違い
どのように教え合い、学び合う組織風土をつくっていくか――この問いを江戸時代の側から考えてみたい。江戸時代は文字が普及し民衆にも学びが広がり、近代の原型を形作った時代であった。そこには現代にも通ずる点と異なる点の両面があり、現代の教育を考えるうえで多くの示唆を与えてくれる。「 教育」の語で多くの人が思い浮かべるのが学校教育だが、江戸時代の学びは、近代の学校教育とは大きく異なっていた。
近代学校教育の特徴は、1人の教師が、発達段階がほぼ同じ数十人の子どもに、画一的な一斉授業で教えるという点にある。教師という“教える専門家”がいて、教えるべき内容をカリキュラムに編成して教える。つまり、子どもの“学び”は、教師の教えがあることによって初めて成り立つという、「教え込み型」の教育観に基づいている。 近代学校制度が導入され、義務教育となった明治以降、学校がこのような一方通行の「教え込み型」になったのは、相応の理由があった。日本国民としての共通の意識を養い社会を担うためには、共通の知識や技術が必要だった。したがって、教える側がその内容を決め、一斉に、画一的に教えるほうが合理的であり、かつ効率的・効果的であったのだ。 一方、この近代学校の教育の方法には問題点もある。小学校からこうした学校教育を受けてきた子どもたちは、教えられることが当たり前であり、教えられていないことは知らなくてもよいのだ、という感覚になってしまいがちだ。 この感覚を持ったまま企業に入るとどうなるか。企業と学校では、「学びの原理」は大きく異なる。企業においては、学ぶべき内容は職種や職場などによって異なるし、日に日に変化もする。画一的に教える一斉授業で教えられるわけがない。必要な知識や技術をビジネスの複雑な環境の中で、仕事を通じて、個々人が自主的に習得していかなくてはならない。 こうした学びが求められる企業教育においては、学校教育よりも、江戸時代の教育がヒントを与えてくれるのではないだろうか。
“教え”ではなく“学び”の「滲み込み型」の教育
江戸期の教育は、人は自ら学ぶ能力を持っており、良いモデルや環境さえあれば、それを真似て自ら学んでいくことができる、という前提に立っている。“教え”ではなく“学び”を基本とした教育観である。
具体的な学びの場としては、手習塾(寺子屋)や藩校(藩士の子弟を教育するために藩が設立した学校)、さらに職人・商人の徒弟制度や、技芸の内弟子制度などがあった。
手習塾を例に見てみよう。手習いの基本は個人の自己学習である。現在の学校のように登校時間が決められているわけではなく、子どもたちは家ごとの生活時間に合わせてバラバラに登校してくる。登校すると、師匠に与えられた手本をめいめいがひたすら真似て手習い(文字を書くこと、習字)をする。
手習いは、単に文字を間違えずに写すだけではなく、手本の文字の形、筆遣いなどの全てを真似て、手本と同じように書くことをめざして繰り返し書き習う。そのようにして、文字を美しく流暢に書く能のうしょ書の技術を身につけていくのだ。
師匠は手本を渡す際、文字の読みと意味を教えた。子どもたちはその意味を頭におき、あるいは口に出して読みながら、理屈抜きに、ひたすら繰り返し行うことによって書く術を体得していくのである。