東洋思想に学ぶ 変化とともにあるための易経② 企業の存在意義を生み出す「黙の知」
「黙の知」は企業の足腰東洋思想で理解を深める
前回に続いて、今回はまず企業に宿る「黙の知」の意義について、少し詳しく触れてみたい。
長年、経営と向き合った経験から、私はどの企業にも特有の「目に見えない、沈黙の知」があることを確信し、「黙の知」と名付けた。これは、ヒト・モノ・カネなどの経営資源を根源で動かしている知であり、力である。
ここで「知」について考えてみる。知は知であって分類することが難しいが、あえて「知の在りか」によって3つに分けてみる。データや文章のように数値や文字で紙やCDのような媒体の上に明示でき、誰とでも相互に伝達できる「明の知」、明示はできないが技わざとかノウハウのように個人に宿る属人的な知である「暗の知」、そして3つ目の「黙の知」は、その存在を直接に認識するのは難しいが、確かに集団の中に存在し、明と暗、2つの知を支えている沈黙の知である(図-1)。
黙の知は、企業という集団が年月をかけて育て上げてきた、知である。それは、非言語的であり、その企業独自の仕事の仕組み、仕事の進め方、ものの考え方、ことの処し方、さらには企業の文化、風土、社風、伝統、価値観といったものを包含した“知の塊”である。
企業に備わる知とは、明・暗・黙、3つの知の総体である――これが私の考える知の枠組みである。
私たちは、普段、目に見える、そして互いに伝達可能な「明の知」を通じて、明・暗2つの知をやり取りしながら、仕事をしている。ここで集団に宿る「黙の知」が豊かであれば、明・暗の知のやり取りも活発になる。そして、より豊かになった明と暗の知は、新しい知として、「黙の知」に落とし込まれる。このようにして一層豊かになった「黙の知」が、また明と暗の知のやりとりを一段と高いレベルに押し上げていく。このようなダイナミックスを通して、企業の知がスパイラルに高められていくのである。もちろん、この逆も起こり得る――黙の知が貧弱であれば、明・暗の知のやり取りも活発さを欠き、それが黙の知を一層痩せ細らせてしまう。
「黙の知」は、人になぞらえれば足腰に当たる。「あの人は足腰が据わっている」というが、企業においても足腰である「黙の知」は極めて重要である。ここに目を向け、この知を豊かにしていくことは企業経営の要諦といって差し支えない。
これは欧米流のマネジメントとは視点が大きく異なる。そこでまず、東洋的なものの見方を深めるために、「黙の知」とも関わってくる陰陽五行の思想について説明していきたい。