巻頭インタビュー 私の人材教育論 社会を俯瞰する目線と技術を極める探究心で50年先の事業を創る
人と機械が調和した理想的な工場、「アンマンドファクトリ」。1960年代に当時の技術者が生んだ概念は、安川電機の大きな事業の柱となった。その基盤となった技術を極める執念と、本質への洞察力は、ベテラン社員から脈々と同社の中で受け継がれている。そして、2015年に創立100周年を迎える同社は「アンマンドファクトリ」に続く新たな事業を創造する人材の育成に乗り出している。
技術を極める執念と本質を探る洞察力
――貴社は、産業用ロボットをはじめ、世界シェアナンバーワンの製品や技術をお持ちです。いくつもの世界一を生み出せる秘訣は、どこにあるのでしょうか。
津田
当社は、サーボ(機械等の動作を制御する装置)、インバータ(モータの回転数を制御する装置)、ロボットという3つのグローバルナンバーワン事業を擁しています。こうした世界トップの技術を生み出す基盤をつくるうえで重要な役割を果たしたのが、サーボモータの開発と事業化に携わった2人の技術者です。
1人目は、サーボモータを開発したモータ技術者です。ちなみに、サーボモータは、1958年に安川電機が世界で初めて開発した製品です。
当時、機械は油圧で駆動するものが一般的で、電動では油圧と同じ能力のものは造れないとされていました。しかし、当社のその技術者は、モータだけではなく制御にも着目。そして、当時、米国のGEが世界で初めて電力制御用の半導体(サイリスタ)を開発したのですが、そのサイリスタを活用した制御装置を造れば、従来の10倍の性能をモータから引き出せることを直感したのです。
その人はさらに、「モータも改良すればもっと高い性能が得られるはず」と考え、2年間の試行錯誤の末、とうとう従来比100倍という画期的な応答性の高い電動のサーボモータを開発しました。
開発に当たっては、ロータにプラスチックを使うなど、当時、誰も思いつかないような大胆なアイデアを採り入れました。その結果、無理だとされてきた開発を成功させることができたのです。
この技術者の立ち位置の高さ、開発に対する執念の深さ、新しい技術に対する感受性の強さは、当社の技術開発者のあるべき姿となりました。そして、この姿勢が「技術者は新しいことに挑戦し、世界初を開発すべし」という組織風土の醸成につながっていったのです。
――もう1人は、どんな方だったのですか?
津田
どんなに画期的な技術を開発しても、それだけで会社が成り立つわけではありません。開発した技術が事業になって初めて企業は成り立つのです。その面で大きな貢献をしたのが、もう1人の技術者でした。この人は、技術部門の管理職だった人ですが、開発した技術や製品を単に売るのではなく、それらが世の中でどう使われるかということを考えて事業戦略を練ったのです。
お客様の機械(メカ)に当社の製品(エレクトロニクス)を組み合わせることで、機械の機能をより高める「メカトロニクス」という概念を考え出し、これをもとに、機械化により働く人の負荷を軽減した効率的な工場=「アンマンドファクトリ(同社の造語)」という概念を打ち出しました。人とロボットが共生する工場というコンセプトです。そして、それを実現するために必要なサーボモータや制御装置を開発し、提供するという事業の方向性を確立しました。つまり、商品を持って売り先やアプリケーションを探して右往左往するのではなく、事業を展開していく道筋を示したのです。
この発想がなされたのは、50年近く前ですが、現在でも世の中は、この「アンマンドファクトリ」を志向する方向で動いており、この先20年も、それは変わらないでしょう。この人が、高い視点で長期的な社会の動きを見据えて事業の方向性を示したことで、これだけ長期的なスパンで取り組める事業を構築することができたのです。
――その結果、技術開発の方向性も明確になり、優れた技術が開発できたのですね。
津田
はい。ただ、“お客様の機械と当社の技術を組み合わせ、最適なシステムを構築する”という「メカトロニクス」の考え方が会社全体に定着するまでには、いくつもの失敗もありました。
たとえば、工作機械の制御装置もその1つでした。当社は、この分野に比較的早い時期に参入し、高いシェアも持っていたのですが、先にご紹介した圧倒的な応答性を持ったサーボモータを適用することに固執してしまいました。