講演録 第2回 早稲田会議 ファーストリテイリングのグローバル戦略 日本企業・日本人の美徳がグローバル化を実現する
早稲田大学が「魅力ある日本社会の創出」を議論するために公に設けている場「第二回 早稲田会議」にて、去る2011年5月12日、ファーストリテイリング柳井正 代表取締役会長兼社長の記念講演会が行われた。ビジネスモデルもさることながら、「英語公用語化決定」など、人事・教育分野でも注目を集める同社と柳井氏だが、今、グローバル戦略として何を思い、何を考慮しているのだろうか。当日の講演から、日本企業のあり方や、グローバル市場で秀でるために考えるべきことなどを抜粋し紹介する。
競争しない精神が社会にもたらすもの
私は今、ある種の「恐れ」を感じている。
この10年というもの、日本の社会には、いわば「清貧の思想」が広まってきた。清く、慎ましやかに生活したい――そうした考え方が、特に若者層を中心に広がり、定着しているのである。競争しない個人、頑張らない生き方が是とされ、がむしゃらに頑張る生き方や、人と競争することは、少し時代遅れのように捉えられている。この風潮に、私は「恐れ」に近い感情を抱いている。
こうした「競争しない」志向は、個人だけのものではない。企業の姿勢も、非常に後ろ向きになっていると感じる。企業が内向きに閉じこもってしまっているのだ。
政治も停滞し、堕落している。残念ながら、首相は1年ごとに代わり、明確な政策が打ち出されることはない。実行力とそのスピードとが、著しく低下しているように思える。保身と自己権益に汲々とする、官僚社会主義国家になっていく可能性すら、はらんでいるように思えてくるのだ。この国は、果たしてこれでよいのだろうか。
世界に出ることが日本を停滞から救う
1990年代以降、日本は停滞している。バブル景気が崩壊する以前からその兆候はあったのだが、バブルの只中にあっては、停滞は意識されていなかった。バブルに踊らされ、上昇基調にあるかのような錯覚が生まれていたのだ。しかし、バブルは単なる膨張に過ぎなかった。それが終焉を迎え、その後、日本という国は、20年という長い歳月を、まるで眠っていたかのように過ごしてきてしまったのである。
そして、2011年3月11日――。東日本大震災という未曾有の災害が、日本を襲った。
悪くすればこの日本という国が、この先、世界に救済の手を差し伸べられることで成り立つ国になってしまうのではないか。そんな懸念すら抱かせる規模の大災害であり、またその後の政治の混乱である。
この状況から復興に向かう今、商売をやっている人間としてすべきことは何なのか、私は考えた。世の中に活気を生み出して、元気良く、にぎやかに商売をしていかなければいけない。それが使命なのだ。
そして何をおいても、企業、そして個人は、懸命に生き残らなければならない。ジリ貧で安定した日本、静止した日本というのは、もうあり得ない。激変する世界の中で、ただ日本だけが安定し、静止しているということは、あり得ないのだ。
端的にいえば、日本は今、瀬戸際にある。その今だからこそ、日本の企業は、人は、生き残るために世界に出て行かなくてはならない。
日本人の美徳を忘れてはいないか
では、いかにすれば日本人、そして日本企業は、世界に打って出て、グローバル化を果たすことができるのだろうか。
私はまずは、日本人の本当に良いところ――美徳といわれる性質を、さらに強くすることが重要になると考える。日本の人々の中に根づいている、利他主義であるとか、真善美を重んじる国民性といったものが、それである。
しかし、残念なことに、バブル景気辺りから、日本人は物質主義に傾いてしまっているようにも思う。
私が大学に入った時代には、誰かから「あいつはお坊ちゃまだから」などといわれると、たいていは、ムカっとしたものだ。ところが、今はこの「お坊ちゃま」や「お嬢様」という呼び方が、ほめ言葉と捉えられているというのだ。こういう感覚は、私の知る限り、世界のどの国でも見られない。
商売の仕方についても、同じようなことが起きているようだ。「だんな商売」というのだが、番頭に当たる人がいてその人が全てを仕切る。経営者なり、オーナーなりが責任を持って経営していくことよりも、番頭が仕切ることを指すのだが、どうも、こちらのほうがより良いというような見方すらある。誠に不思議な感覚だ。