連載 人材教育最前線 プロフェッショナル編 広い視野で挑戦する意思が個人、会社、社会を強くする
どんな業界であっても環境の変化は激しい。国境を越えてビジネスを展開するクレジットカード業界であればなおさらだろう。多くの海外企業がしのぎを削る中、日本発のクレジットカードブランドとして参入し、世界を舞台に事業を拡大させたJCB。今年で創立50周年を迎え、現在では、海外加盟店1120万店、海外会員869万人、190の国と地域に展開している同社で、9年にわたり人材育成を担当するのが、人事部次長の久保寺晋也氏だ。人事部に配属となって以来、環境の急激な変化に合わせた人事施策を次々に実施してきた同氏に、人事の仕事への想いを伺った。
できる、できないは君次第だ
思いがけない出会いが、生涯をかける仕事に就くきっかけとなる人は少なくない。JCB人事部次長の久保寺晋也氏も、その1人だ。大学3年の春休み、中国旅行の帰りに寄った香港での偶然の出会いが、その後の人生を決めることになった。「学生時代、バックパッカーで一人旅をするのが好きでした。この時は香港のJCBプラザの前で友人と待ち合わせをしていたのですが、いくら待っても友人は現れません。後にわかったことですが、友人は入院していたそうです。まだ携帯電話などがない時代。そんなこととはつゆ知らず、事務所の前をウロウロするばかりの私に、JCBプラザのスタッフが声をかけてくれたのです」
親身に話を聞いてくれるその人に久保寺青年、帰国したら就職活動を始めることを何気なく話した。すると「JCBも受けてみたら」と、その人は熱心に勧めてくれたそうだ。
父親の実家が農家だったこともあり、子どもの頃から農業に興味があった久保寺氏。大学でも農業経済等を学び、将来は日本の農業の発展に寄与する仕事に就きたいと考えていた。JCBのようなクレジットカード会社を就職先に考えたことはそれまで皆無だったが、帰国後、久保寺氏はJCBに足を運んだ――。
1961年に設立されたJCBは、1981年には海外進出を開始。国内にとどまらず、世界を舞台に多様な事業を展開していた。久保寺氏は、JCBカードという媒体を使い、日本の農業価値を高めることはできないかという思いを漠然と抱くようになっていったという。そしてその想いをリクルーターだったJCBの先輩社員に話した。
「『できるでしょうか?』という私の問いかけに、リクルーターは『できる、できないは君次第だ』と叱咜しました。その自由闊達で、可能性に満ちた社風は、それまで訪問したどんな企業にもないものでした。この時、この会社で働きたいという思いがさらに強くなっていったのです」
当時のクレジットカード業界は発展途上の産業。現在のようにキャッシュレスが浸透している時代ではなかったと久保寺氏は話す。
「現在、個人消費におけるクレジットカードの利用比率は約16%程度ですが、当時の利用比率は5%以下だったと思います。だからこそ未知の分野を拓く期待がJCBには無限に広がっているような気がしましたね」
久保寺氏の入社は1994年。バブル経済の崩壊で、自己破産が社会問題になっていた時代。面接時に自己破産について意見を述べたこともあってか、入社後は調査部へ配属された。
JCBでは、入社後の10年間、約3年ごとに職場を異動することになっている。部署をローテーションすることで人材を育成するためだ。久保寺氏の場合、3年後の1997年、営業本部ダイレクトマーケティング室へ異動。データベース分析やマーケティングリサーチといった手法を用いて顧客を知り、顧客のために何をすべきかを考えるということを、久保寺氏はここで学んだ。