企業事例②綾羽 人事が現場に出向き学びと実務のつながりを伝える
1946年の創業以来、社会環境の変化に対応して、次々と事業内容を多角化してきた綾羽。「企業の強さは変化への対応力」といい切る同社にとって、人材は、企業が成長するための“人財”である。そして、人材が“人財”へと進化するのは“現場”だと考える同社では、若手教育において、人事が現場をしっかりとフォローしている。その取り組みを紹介する。
社会環境の変化に対応し価値を創る“人財”を育成
2011年10月で創立65周年を迎える綾羽の歴史は、まさに戦後の日本社会の変化に果敢に挑戦し続けた歴史だといってよい。1946年に山城織物として誕生した同社は、1952年に綾羽紡績に社名変更し、中堅紡績会社として一時代を築く。その後、1960年代の自動車産業の進展に対応してタイヤコード事業に進出し、工業繊維会社として飛躍。高度経済成長時代にはゴルフ事業をはじめとして事業の多角化を推進した。そして1976年には現在のアヤハディオ(ホームセンター事業)1号店をオープン。以降、地域および顧客ニーズに対応した「快適生活応援企業」として順調に事業を拡大している。
「私たちは、社会環境の変化への対応力こそが企業の強さであると確信しています。当社には、『企業生活を通じて、社会とともに歩む』という企業理念がありますが、社会とともに歩むためには地域のニーズ、顧客ニーズの変化に的確に対応しなければなりません。そして、そうした変化は常に現場で起きています。当社では“企業の進化は現場から始まる”との考え方(現場主義)に基づき、現場の課題を共有し、より質の高い仕事を通じて企業価値を向上させることをめざしています」
こう語るのは、人事・教育部次長の西村佳央氏。同氏は、だからこそ「変化に対応できる人財を育成することが、企業を成長させる原動力になる」と主張する。「当社には『人財資本主義』という考え方があります(図表1)。新しい綾羽の力を創り続けるには、綾羽で働く人材を“人財”に変えていかなければなりません。“人財”とは、社会環境の変化や進化を踏まえ、地域社会の人々やお客様との信頼関係をつくり、事業の革新や開発に挑戦できる人、そして地域社会に貢献できる人のこと。会社・上司は、新入社員一人ひとりを“人財”へと成長させ、意欲や可能性を引き出し、次の進化へつなげることが大切です」(西村氏)
同社では、人材を4つのポートフォリオに分類する(図表2)。入社したての人材はまだ存在するだけの人(=人在)。しかし、経験がなくても意欲を高めることかできれば材料(人材)にはなれる。そして、意欲を高めた状態で経験を重ねることで人は財産(人財)になり、経験だけ積んでも意欲が低下すれば人材ですらなくなる(人済)、というのが同社の考え方だ。人事・教育担当者の責務とは人材を「人財」へと進化させることであり、その端緒となるのが若年次教育である。
PDCAを回し「人生の金メダル」をめざす
「現場主義」を掲げる同社の新入社員の育成は、OJTが基本になる。事業内容が繊維、精密検査機器等の製造業から小売、住宅・不動産、ゴルフ事業等のサービス業まで多岐にわたることから、事業部ごとの専門知識等の教育全てを人事・教育部が行うことは難しく、各事業部が担当している。人事・教育部は会社の基本的な考え方を浸透させたり、業種・職種を越えて必要な基本教育を行うことが主な役割となる。
ところが最近は、事業部ごとに教育内容・レベルのバラツキが拡大してしまったという。また専門知識はあるものの社会人としての常識に欠ける社員や、問題分析や解決に向けてのアウトプットが十分にできないリーダー層が増加する傾向にある。「人は仕事を通じてしか成長しません。人が育つためには、目標達成のために情熱を傾け知恵を絞るプロセスが大切で、だからこそ、当社ではOJTを大事にしてきました。しかしOJTは、ともすれば“現場任せ”になってしまう。当社も仕事の基本であるPDCAを回す習慣がすっぽり抜け落ちている世代が生まれるといった問題が顕在化しています。専門スキルを身につけることは大切ですが、キャッチボール(基本)ができないうちにダブルプレイ(応用)の練習ばかりをしても仕方がない。早くダブルプレイができる人財を育成したいからこそ、あえて基本教育に力を入れる。当社では、これまでの教育体系を見直し、社会人としての基本能力向上にこだわった教育を実施しています。また、この若年次教育を通じてOJTの再構築を図り、人財育成風土の活性化に努めたいと考えています」(西村氏)