連載 グローバルビジネスに役立つ教養の本棚 第9回 哲学を学ぶ 「 日本の思想・哲学」日本と真摯に向き合う心構え
「自国のことをしっかり理解している」ことは、グローバル人材の定義の1つ。では、どのように日本のことを知ればいいのか。生半可な知識では、知っているようで知らない日本に切り込めない。通説、俗説にとどまらず、学術的な深い理解に踏み込むことが、国際的な場面で日本を説明する助けになる。
「日本の思想=ポテトサラダ」論
日本人は無宗教である、あるいは、日本には哲学や思想がない、といわれることがあります。ですが、過去の記事でも触れたように、決してそんなことはありません。ただ、思想や哲学のあり方は、西洋とは違いますし、日本人は自身のそれに無自覚なだけです。
日本の思想・哲学を歴史的な観点から捉える場合、日本の思想・哲学はいわば「ポテトサラダ」のような状態と理解するのが良いのではないか、と私は考えています。その意味は「いくつかの主な材料が、その特徴をある程度残しつつ、一体化して混ぜ合わさった状態である」ということです。素材が完全に融け合って区別がつかなくなっている(たとえば、ブレンドウイスキー)というまでの状況ではありません。対して、個々の素材を綺麗に取り出すことのできる状態(たとえば、生野菜サラダ)ほどでもありません。このような感覚から、「ポテトサラダ」にたとえました。
では、このような状態にある日本の「思想・哲学」の主な成分は何かといえば、明治以前においては、神道・仏教・儒教の三つです。神道はほぼ日本オリジナルです。仏教・儒教はインドや中国から伝来し、その後、日本オリジナル化したものです。明治以降はこれらに、西洋哲学が加わることになります。これらが、混ぜ合わさってできているのが今の日本の思想状況です。