Opinion 1 安全地帯を出てグローバルで通用する筋肉を鍛えよ
グローバルとはマーケットも人材もイノベーションの源泉も地球規模で考えること。それを突き詰めると個人戦になる、と高津氏は語る。社名や肩書きが必ずしも通用しない海外で、個人として自分の能力を引き出しながら、心を開いて人とかかわり、関係を築き、ビジネスの目的を達成していける力が問われるのだ。そのための一歩は、自分のコンフォートゾーン(安全地帯)を出るところから始まる。
グローバル化を阻む国内の主流派
現在、多くの日本企業がグローバル化に対応できていない。なぜ、つまずいてしまったのか、その原因については拙著で紹介したが、人材に焦点を絞ると、そもそも今の日本企業で本当に明確にグローバルに人材を育てようと考えている企業は少ない。人材育成を日本人のみの育成として捉えている企業がほとんどだ。
台頭する新興国のマーケットで勝負をしていくには、そのマーケットをよく理解している現地の人とともに働かなくてはならない。そうした状況で、日本人の教育しか考えられないというのは問題である。
その原因は、付加価値の源泉は日本人、中でも特に日本人の男性社員であるという思い込みが、まだまだ強いからだろう。
近年、ダイバーシティの重要性を説く声が各界で高まっているにもかかわらず、大半の日本企業では相変わらず役員や管理職の多くが“大卒・生え抜き・日本人男性”という状態にある。つまりこの国では、そうした日本人男性が巨大な主流派を形成し、そこであらゆる物事が決まる仕組みができているわけだ。
それはかつての日本では非常に効率的なシステムだったが、マーケットも、イノベーションの出所も、競合の出現も地球規模で捉えなければならない現在、この主流派の単一性は“外部情報に対する鈍感さ”の元凶であり、それこそが日本企業のグローバル化を鈍らせる大きな要因になっているのではないだろうか。
残念ながら、今の主流派の男性たちの世界観と、現実の世界はあまりにも乖離してしまっている。彼らには過去の成功体験があり、勝ちパターンがある。だが、その勝ちパターンが果たして今の社会で通用しているのかどうか、を鳥瞰することが彼らには難しい。なぜなら、その機会が提供されないからだ。
多くの企業は“グローバル化のために若手を海外に出す”が、若手が海外で新しい世界を見て、問題意識を持って会社に戻ってきた時に、いったい誰が、その話を実感を持って受け止めてくれるのか。
私自身が、まさに今、課長や部長として働いている人たちと同世代なのでよくわかるが、彼らの社会人としての原体験はG20ではなくG7で、日米独の三か国に注目していればいいという世の中だった。そして、グローバル・イングリッシュではなく、ネイティブ・イングリッシュに対する憧れと劣等感を持っていて、インターネットがなかった時期に青春時代を送っている。こうした原体験は、それを書き換えるような新たな原体験をしない限り、残像が消えず、新しい世界に対応する妨げになってしまう。
日本企業における意思決定者はミドル以上の人たちである。であれば、彼らが自ら新たな世界の姿を体感し、グローバル人材にならない限り、その企業に変化は起こらないだろう。
安全地帯を出て一人の人間として勝負する
それでは、何がグローバル人材に求められるのか。語学力と併せて重要なのが、サッカーなどでいうところの“アウェイ”の状況で一人の人間として機能し、ビジネスの目的を達成できることである。