“学習する組織”をつくる ワールド・カフェの対話
集団で対話を重ね、気づきを得るための手法であるワールド・カフェ。
日本での第一人者、香取一昭氏は、長年企業内で学習する組織の実現に向けて活動してきた。
2003年にワールド・カフェに出会い、組織改革における有効性を実感。現在は各地で推進に努める香取氏に、
ワールド・カフェの仕組みと、そこからいかに学習する組織が創られるのかを聞いた。
“発見”されたワールド・カフェ
1995年1月、カリフォルニア州ミルバレーにあるアニータ・ブラウンとデイビッド・アイザックス夫妻の自宅で、24名の専門家による知的財産に関する会議が開かれていた。
会議の2日目は、朝から激しい雨だった。近隣に宿泊していた会議参加者らは夫妻の自宅に集合することになっており、全員が揃うまでの待ち時間には外を散策するはずだったが、雨ではそれもできない。
そこで、夫妻は丸い小ぶりのテーブルをいくつか室内に並べて、クロスの代わりにペーパーを敷き、コーヒーを入れ、参加者全員が到着するまで待ってもらうことにした。
やがて参加者が集まり、各テーブルで前日からの会議テーマについての会話が自然発生的に始まった。中には、クロス代わりのペーパーにキーワードや図を書き込みながら話すグループもあった。話が盛り上がっているので、夫妻は話を止めずに続けてもらうことにした。
45分間経過したところで、参加者の1人が、「他のテーブルの話も知りたい」と、各テーブルにホストを1人残し、あとの3人は他のテーブルに移って話そうと提案。60分経つと、また別の参加者が提案して、席を入れ替えてもう一巡した。
終わりの時間が近づいた頃、各テーブルが文字や絵の書きこまれたクロスを持ちより、大きな1枚の模造紙に内容をまとめ、全員でシェアすることにした。すると、各テーブルで話されていた内容が、お互いに絡み合い、影響し合い、その行間に個人を越えた大きな“集団的な自我”が見えてきたような感覚が参加者の中に生まれた。※1
組織は機械ではなく自ら意思を持つ生命体
このエピソードは、ワールド・カフェが“発見”された時の様子だ。現在でも、この1995年当時とほぼ変わらない形で、集団での対話の手法として世界各地で活用されている。
なぜ“発見”なのか。もともと、人々はそういった場さえ整えば、勝手に話し出すのが“自然”な状態だからであり、対話の手法としてのワールド・カフェは、その自然な状態を再現しているだけに過ぎないからである。
ところが現在、組織内での“対話”が困難になっている。ITが標準化し、顔を突き合わせなくても仕事は進む。上司は忙しくて取り付く島もなく、部署間を超えた会話もできない。こうした状況の一因は、1990年代後半に、いわゆる「グローバルスタンダード」や「成果主義」が日本に導入され、効率やスピードばかりが追求されてきたことが挙げられるだろう。効率化とは、極端ないい方をすると、人間や組織を機械のように扱うことではないだろうか。
私は、組織とは決して機械ではなく、むしろ“生命体”なのだと述べたい。それぞれ別の意識を持つ人々が集まることによって、その人々を超えた集合的な自我を持つ生命体だと考えている。その生命体としての組織が、常に環境変化に適応して成長していくこと、それこそが「学習する組織」の姿なのだ。