連載 ワンワード論語 第16 回 「恥」
「敬」の心が育つと、正しい「恥」の心も育ちます。本当に恥ずべきこと、逆に恥じなくていいことを学びましょう。
前回取り上げた「敬」の心が育つと、ああいう人になりたいと、目標となるめざしたい人物が浮かび上がってきます。その人物は職場にいるかもしれませんし、歴史上の人物かもしれません。そうなると、自分の言動を、その人物ならどうするだろうかと照らして考えるようになります。“あの人に比べて今の私は……”、この心こそが「恥」であり、向上心につながります。
● 耳に心が現れる
「恥」というワードは耳+心で構成されています。あなたの心が自分の発言なり行動を恥ずべきものとして認識した時、生理現象として耳が赤くなります。心が耳に現れるのです。ですから、習慣・文化・教育等を通して「恥」として認識しない事柄に関しては耳が赤くならず、「恥」を感じません。
あなたはどんな時に耳が赤くなるでしょうか。今回は、孔子が『論語』を通して教えている、耳が赤くなるべき時、また逆に赤くなる必要がない時について学びましょう。