CASE.3 キヤノン 実務家が語る③ 評価制度の説明や企業DNAの再確認で、個人と組織の関係を強化してきた20年
戦後間もない時期から、「公平・公正」という考え方を根底に据え、実力主義をうたってきたキヤノン。バブル崩壊後の低成長期にあっても、明確な経営方針のもと、成果とプロセスを評価する「役割給」制度の導入をはじめ、時代に即した先進的な制度を構築・運用してきた20年を振り返る。
● 背景(1963年~2000年)職能資格制度の導入と限界
1933 年、アパートの一室で、当時まだ存在しなかった日本製の高級カメラを開発する小さな研究所からスタートしたキヤノン(本社:東京都大田区)。創業時からの企業DNAである「人間尊重」「技術優先」「進取の気性」を脈々と受け継ぎ、世界的な精密・電気機器メーカーへと発展を遂げた。
人事制度においては、戦後間もない時期から職員(ホワイトカラー)と工員(ブルーカラー)という分け方をなくし、「公平・公正」という考え方を根底に据えてきた。その考えが制度として明確に反映されたのが、1963 年に導入した職能資格制度である。取締役 人事本部長の大野和人氏はこう語る。
「性別や学歴などにかかわりなく、その人の仕事と能力によって評価・処遇する仕組みであり、我々は『実力主義』の制度とうたっていました。職能資格制度は、人の成長や日本的な長期雇用、また当時の高度成長期の企業の成長にも非常にマッチした制度だったといえます」
1950 年代から海外展開に着手し、事業の多角化を進め、世界初の製品を次々と生み出すなど発展を続けてきた同社だったが、さすがにバブル経済崩壊後の1990 年代半ば、その成長にもブレーキがかかった。新卒採用の数も大幅に削減する中で、90 年代の終わり頃には「職能資格制度の理念と実態の整合性がとれなくなってきた」と大野氏は言う。
「職能資格制度では、社員の職務遂行能力に応じて各等級に当てはめ、かつ各等級に見合った仕事や役職に就かせる必要があります。ところが、企業の成長が止まると社員の数も増えなくなりますから、組織やポジションの数にもブレーキがかかります。一方で社員の能力の伸長は続くわけですから、等級に仕事や役職が追いつかなくなってしまうわけです。つまり、能力と仕事、賃金と仕事のアンマッチが起こってしまいます。そこで、21世紀に向けて新しい賃金体系を検討することになりました」
● 転換期(2001年~2005年)成果とプロセスを評価する「役割給」制度を導入
1990 年代後半、日本では新たな人事評価の仕組みとして「成果主義」の考え方が広がったが、同社ではそれをそのまま取り入れることはなかった。
「新しい賃金体系を検討するうえで、我々が前提としたのは長期雇用でした。日本においては、人は1つの企業の中で育っていくという状況は変わらないだろうと考えたのです。その場合、短期的な成果だけでなく、中期的に成果を再現させるためにはプロセスを評価することも大切です。その前提に立って採用したのが『役割給』制度でした」
役割給とは、仕事の内容を示す職務と、仕事の責任の度合いを示す職責の2つから報酬を決める制度である。